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一杯ずつ、街の場づくり

執筆者の写真: James FarrerJames Farrer



COVIDパンデミック以降、西荻窪には小さなカフェが相次いでオープンしている。このようなカフェの中には、リモートワークをする人向けの店もあれば、Palm Park Cafeのように、忙しい日常から完全に逃避するための静かな第三の空間という店もある。西荻のPalm Park Cafeは、狭い木の階段を上ったところにあるわずか6席の小さなカフェだ。オーナーである上條典子さんは、個人的な理想と社会的な理想が混在し、西荻周辺のヒューマンスケールの空間に対する共通の愛情を動機とする、この新しいカフェ・オーナーの波を代表する人物である。多くの場合、オーナーは会社員生活の疎外感から逃れ、自律性や柔軟性への憧れといった個人的なジレンマへの具体的な反応としてカフェを作る。こうした新しいカフェのオーナーの大半は、典子さんのような高学歴の女性だ。彼女たちは、健康的な食事、心理的な幸福、環境への影響など、西荻に住む中高年の消費者とライフスタイルに関する悩みを共有している。彼女たちの典型的な抑制された美学は、東京のベージュの布張りの喫茶店から離れ、世界のサードウェーブ・コーヒーショップに典型的な、風通しの良い北欧モダンな空間へと向かっている。 それらはビジネスと同様にライフスタイル・プロジェクトでもある。しかし、純粋に個人的なビジョンだけでカフェ・ビジネスに飛び込む多くの初心者とは異なり、典子さんはコーヒー・ビジネスのベテランであるため、顧客がカフェ・スペースに何を求めているかを鋭く感じ取っている。パームパーク・カフェは長年の経験に基づいたプロジェクトなのだ。


インド哲学を学び、コーヒーへたどり着く

西荻窪でカフェを開くまでのストーリーは、典子さんが東京に上京したときまで遡る。最初に、典子さんが上京した理由、そしてコーヒーに関心を持ったきっかけについて伺った。

「家族も、宮城県っていう街も好きだったんですけど、当時の私には退屈だったんですよ。都会への憧れがあって、絶対東京の大学行くって決めて早稲田大学を受けました。当時ロックバンドの聖飢魔IIのボーカルのデーモン小暮が早稲田の卒業生で、彼に憧れて早稲田を目指しました。でも早稲田は結局不合格で、滑り止めで受けていた東洋大学のインド哲学に合格しました。当時は何を勉強したいかという志はなかったけど日本で唯一インドに特化した哲学を教えてくれる学科だから面白いかなって思いました。大学に入学して、生活費も遊ぶお金も欲しいということでアルバイトを探したんですけれど、私はその当時、全く勤勉な人間ではなく、とにかく楽なアルバイトがしたかったのです。飲食の仕事は始められやすいし、メニューが少ないとろ、時間が自由で、セルフサービスのところがいいなとなったら、選択肢はカフェか牛丼屋でした。そしてカフェの中でも一番オペレーションが楽そうなドトールでアルバイトを始めました。最初は楽をして働ければいいと思っていたのに、『コーヒーって美味しい』と思い始めて面白くなってきました。自分で飲んで味の違いがわかってきて、それをお客さんに話すのが楽しくなったのです。お客さんも『へーじゃあこれ買って行くわ』って言ってくれて、それが面白いなって思ったのが、そもそものきっかけですね。」


お小遣い稼ぎのためのドトールでのアルバイトから、どういった経緯でバリスタとして社会人のキャリアを切り開いていくことになったのだろうか。

「ずっとドトールでアルバイトしてたんですけど、銀座にスターバックスが出来たのをニュースで知り見に行ってみたら、今まで私が知ってたカフェカルチャーと全く違ったんです。コーヒーも美味しいし、店もおしゃれだし、店員さんも個性的だし、頼み方もわからないし、コーヒーカップも大きいし、コーヒーは苦いし。なんじゃこれはとすごい衝撃を受けて忘れられなかったんですよ。そのことを心の片隅に止めたままドトールで働いていました。大学出たら自分はどんな仕事しようかなと思ってたんですけど、当時は就職氷河期。非常に景気の悪い時期。しかも学部がインド哲学のわからないものを勉強してしまったばっかりに就職活動しても何ですか?それは。みたいな感じでした。そしてもう就職しませんってなりました。」


「それからしばらくフリーターをやりながら演劇にはまっていったんです。西荻窪は役者さんが多いですよね。演劇をやりながらフリーターやればいいやと思って、どうせだったら面白いことしようと思ってスターバックスで働くことになりました。スターバックスではいろんなカルチャーも勉強したし、就職したら面白そうと思ってアルバイトから社員になったんです。そこから店長にしてもらって順風満帆なスターバックス人生を歩んでました。そこで経営とかいろんなことを学んでコーヒーの世界もどんどん広がっていって。ちょうどその頃は日本における第一次コーヒー全盛期でした。そこで成功したかったけど、結婚して夫の仕事でアメリカのカルフォルニアに行くことになりました。すごく迷ったけどスターバックッスを退職して渡米し、ニューヨーク、サンノゼ、その後がロサンゼルスと移動しながら結局六年間住みました。」



アメリカでコーヒーの旅は続く

旦那さんの仕事のため、仕事を離れることを決めた典子さんだが、滞在先でもコーヒーと関わる出会いがあったという。

「当時は英語も話せなかったけど、子供産んだりいろんなこと様々な体験をしました。どうしても仕事がしたくて、ロサンゼルスに移った時、ジャパニーズパティスリーで働くことになりました。そこでまたコーヒーと関わることになったんです。その頃にサードウェーブコーヒーがアメリカではもう円熟期を迎えていて、どこのカフェでも酸味のある浅煎りのコーヒーが主流でした。もともとは日本の純喫茶で行われていたハンドドリップで入れるあのスタイルがアメリカではクールだということになっていたんです。もう、スターバックスのような大きいマシンで淹れるコーヒーなんて飽き飽きという風潮に見えました。」

典子さんが勤めたガーデナー市のケーキ屋さんは、トーランスの隣町にある日本人がたくさん住んでるエリアだったそうだ。典子さんはそこで2年間勤めていた。

「(働いていた二年間は)子育てに必死な時期でした。お店のコンセプトはケーキがメインで、コーヒーは地元のロースタリーの焙煎豆を仕入れていました。店長さん自身はそんなにコーヒーを頑張ってなくて。私が勝手にコーヒーに興味を持って、『このコーヒーはどこのだろう?お店をちょっと見に行ってみたいな』と思い、実際に見に行ったりしました。ブルーボトルもそのひとつで日本でも流行り始めたらしいよっていうのをちょっと聞いてはいたんですが、帰国したら本当に流行ってて驚きました。」


日本へ帰国後、働いていたスターバックスへ一度は戻った典子さん。しかし、彼女の新たなコーヒー旅は続いていく。

「帰国してまたスターバックスに戻って働いたんですが、仕事について行けなかったんですよね。商品の切り替えのタイミングがより一層早くなってたり、大量生産大量消費で毎日沢山ゴミを出すやり方にうんざりしてしまいました。それでもうスターバックスは若い世代に任せて、私はもっと別なことをしよう思ったのです。私が今住んでる国分寺はオーガニックのカフェが沢山あるんですが、カフェスローというとても有名な雰囲気の面白いお店の姉妹店が駅ビルの中にあり、そこで働くことにしました。それまでは美味しければ何でも良かったんですけど、この時からローカルの食材を使ったりオーガニック食材を使ったランチやコーヒーを学び始めたんです。」


オーガニックで名の知れたカフェスローの姉妹店で働き始めたことで、味のおいしさだけではなく、素材についても関心を持ち始めた典子さん。さらに、あることがきっかけで、コーヒー焙煎と出会うことになる。

「ちょうど働き始めたのが2020年のコロナの時でした。勤め先でオーガニックにはまる一方で、コロナで出かけられないから、家で焙煎でもしてみるかと思ったんです。ちょうどカフェスローの店長も焙煎を始めようとしていた矢先で、私に『一緒にやらない?』って声をかけてくださいました。それで二人で焙煎の勉強を始めて焙煎機を動かしながら焙煎の面白さに目覚めていきました。でも、私の焙煎したコーヒーが実際美味しいかどうかわからなかったのです。そんな時に私の夫に『オンラインで売って反応をみたら?』と提案されました。オンラインを立ち上げて売ってみたら、結構売れました。コロナ渦のおうち時間が

皮肉にも追い風になりました。でも、オンラインだけだと自分のコーヒーのコンセプトが伝わらないから、インスタライブもやりながら、『コーヒーの質問ありますか?」とか言いながら販売につなげていきました。」


また、オーガニックやフェアトレードなどの素材を扱うお菓子を販売している「自然菓子cacika」を営む方との出会いが、典子さんのコーヒー旅を広げた。

「コロナがだんだん落ちついてきて、オンラインの売り上げが静かになってきた頃、偶然cacikaさんとカフェスローで出会って意気投合して、吉祥寺のシェアキッチンでお菓子と一緒にだすコーヒーを淹れてくれない?と、声をかけてくださいました。最初は、週一回、cacikaさんに私もついていって、そこでコーヒーを淹れるっていう生活を始めました。当時は家で焙煎して、それをお店に持って行ってました。気に入ってくださる方も増えてきて、『出店してみませんか?マルシェに出てみませんか?』と声が掛かるようになりました。当時、吉祥寺で活躍していたマルシェ巡り好きなインフルエンサーがいて、その方が西荻窪って面白いんだよっていう話をしてくれて。『今はもう吉祥寺よりも住みたい街って言われてるし、本当にいろんな個性的な個人店があってすごい面白いんだよ。ちょうどシェアキッチンが空いたみたいだからそっちもやってみれば?』って言われたんです。西荻窪を調べてみたけど情報がとにかく少なかった。でもcacikaさんと話して、『吉祥寺のシェアキッチンの契約ももうすぐ終わるから行ってみるのも面白いかもね!行ってみようよ』ってなりました。それで二人で西荻窪のコトカフェというお店で週一回働きました。これが今から一年前です。」



西荻窪に魅了されて


「cacikaさんは、その頃から『お店を出すなら、吉祥寺は高いし、西荻窪がいいね』と探していました。私は、コトカフェで出会う人達がユニークだったので楽しくて幸せでした。西荻窪に住む人は面白い人が多いかもしれないって、どこのお店も建物も古くて面白い。お客さんも優しいし好奇心が旺盛。」

自然菓子を販売するcacikaさんと、吉祥寺でマルシェをする中で、西荻窪の魅力を人伝で知っていった典子さん。現在のお店Palm Park Coffeeの物件との出会いは偶然の巡り合わせだったという。

「cacikaさんが隣の物件を見つけてきて、そのまま不動産屋さんに聞いてみたら見に来ていいですよってなりました。見るなり、直感で、いけるかもしれないって感じたんです。私、スピリチュアル的なとこあるんですけど、もし縁がなかったらどこかで障害が発生して話が止まるだろう、例えば家族が倒れるとか?そもそもお金がないとか?他にいい人がパッと来て決めちゃったとかなんか困ることが起きるはずだから話を進めるところまで進んでみようと思っていたら、全然止まらないんですよ。どこまで進んでも止まらない。お店の内装代も最初払えないから融資を受けようと思っていたけど、結局全部自費で払えることになり、審査もするりとと何の問題もなく決まってお店を開くことになりました。(物件を見つける計画を)長年温めてきたとかじゃないから、本当にこれでいいの?っていう心配はありました。」


突然の大きな決断で心配もあったものの、今までの過去が伏線となり、全てが繋がっていたという典子さん。

「お店に飾ってある絵はインド哲学にいた時の同級生が描いてくれた絵で、うちのお店のロゴマークをデザインしてくれたんです。cacikaさんと知り合ったり、ことカフェではお店にベーグルを提供してくださってる方とも出会えました。コーヒー屋さんとの情報交換も今でもずっと続いています。」

コトカフェで出会ったコミュニティから不動産について情報共有をしてもらったそうだ。

「西荻で(物件を)借りるのは難しいから、困った時に東京都のここに連絡すればいいよ等の情報とかですかね。」


物件を借りるためには紹介がないと難しいのだろうか。

「そうですね。テナントの賃貸は内々で話が進むと聞いています。お店探しをしている人向けの不動産情報も表面的な話しかなくて、実は情報が出回る前に水面下であそこのお店は空くみたいねというみたいな感じらしいです。例えば、『自分の持ってるビルテナントが近々空くけどもあなたどう?』など、知り合いの方が紹介してくれたりする物件もありました。このお店ができる前にテナントが空いたときに、不動産屋さんの知り合いにここの情報ありますかって聞いてみたら、『うちじゃないね』って言われたんです。ここの物件はオレンジボードっていう有名な不動産屋さんが扱ってたんですけど、そこの人に聞いたら、『空いてますよ』って言われました。でも、まだその他の不動産ネットワークが共有しているところには情報が上がってなかったですね。大家さんによると思うんですけど、借りる時に、募集の期日まで募集しといて、同時に(全員を)審査する、という流れでした。だから早い者勝ちじゃないんですよと不動産屋さんから説明を受けました。でも私の時は私しかいなかったので借りることができました。」


西荻という新しい地でビジネスを始めた典子さん。少しずつ周辺の店との関わりを増やしていっている。

「今は(交流)あんまりないです。 でも、隣に入ってる雑貨屋さんや、その隣は占いなんですけど、そこの方とは仲が良いです。お向かいのプレミアジムさんにも、せっかく向かいにあるから、うち来てくれたらコーヒー安くしますよと言ってチラシ置かせてもらっています。あと、明日そこのピザ屋さんのピザ食べに行くから、そこの方とちょっとお近づきになれたらいいなと思います。こうやってちょっとずつじわじわと関係を深めようと思っています。 」 

「(神明通り)朝市もやりたかったんですけど。コーヒー屋さんが何店舗も出てるからもう入っていけないなと諦めました。朝市の後ここでモーニング、どうですか?という思いで営業しています。 」 




地元の人とPalm Park Coffeeの関わり方


最近になって地元のお客さんが来てくれるようになったという。

「今はやっとこの辺の地元の方々が来てくれるようになってきましたね。最初の頃は友達とかマルシェで私の事をファンになってくれた方が遠くから来てくれて。コトカフェで知り合ったお客さんも来てくれました。あとはうちで売っているベーグル食べて、美味しいって言って、コトカフェに買いに行ってたお客さんもいらっしゃいます。地元の方は、(最初の頃は)好奇心がある感じの人は来てくれてました。でも1度きりであんまり来てくれないなっていう印象でした。でも最近は結構『今日はどちらからですか?』て聞くと、近所です、って言ってくれる方多くなったのですごく嬉しいですね。」


イートインだけでなくテイクアウトも人気だそうだ。

「(イートインとテイクアウトは)半々ぐらいですかね。ベーグルを出すモーニングの時はイートインで絶対来る方が何人かいて、狭い店だとお客さんもわかってくださってて、時間をずらして来てくれたり、混んでいると『今日はテイクアウトにするわ』と言ってくれます。席は六席あって。いっぱいになるとあんまりくつろげる感じじゃなくなるので(お客さんに)申し訳ないんです。最近は暑いのでテイクアイウトのお客さんは減りました。」

「男女の比率も半々かな。男性も来ますけど、女性の方が気持ち多いような気がします。女性オーナーだからかな?」


イートインのスペースでは仕事をする人もいるという。

「います。朝ですね。在宅の方が多くて、朝ごはんをここで食べながらメールをちょっとチェックしてで『何時からオンライン会議だから行くわ!』って言って出て行く人がいたり。」

他の喫茶店よりもイートインスペースが小さく、お客さん同士の距離が近いことも一つの特徴である。お客さん同士の会話は活発に飛び交っているのだろうか。

「人によりますね。一人喋る人がいると、会話が始まったり。でも一人で静かに本読みたい方も多いです。(たまに会話が生まれるのは)店の空間の大きさもあるのかな。例えばスターバックスでもお客さん同士で繋がるお店とそうじゃないお店がありました。大きいお店は難しいけど、狭いお店はあったような気がします。常連さん同士が会っちゃうから『あ!』みたいな感じになって、顔見知りになってくると、『おはようございます』とかちょっと声をかけたりされているようです。」


一方で、イートインの場所から典子さんが立っている場所は、階段を挟んで離れているため、お客さんと会話ができるタイミングが少ないという。

「そうなんですよ。お客さんがコーヒーを買う時と帰り際ぐらいしか(会話できる時が)ないんですよ。ちょっと寂しいですね。結構しゃべりたいんですけどね。その寂しさを埋めるために、たまにインスタライブをやるんです。閉店後とか、暇な日に『お客さんが来店するまでやります』とか言って。笑」



コーヒーへの愛ゆえのこだわり

典子さんにとって、喫茶店を経営する上で一番楽しいことは空間づくりだという。

「やっぱりお客さんがその空間にどっぷり浸ってくれるのを見た時が一番楽しい。この空間の一部になってくれている。過ごし方は何でもいいんですけど、空間が一番大事だと思っています。」

また、西荻窪周辺のお店をよく散策しているそうだ。

「私は『お客さん』として完全に楽しみたいから、同業者ではなくお客さんとして(喫茶店に)行きます。勉強も半分あるんですけど、でもなるべく勉強モードにしないようにしてますね。空間を楽しみたいから。店員さんと会話もしたりします。これどういうコーヒーなの?とか聞いたりします。」

「自分がこの店を作る時に、どういう店に作りたいのかな?と、ビジョンを考えました。私が一番いいなと思ってる姿は、商店街の中にあるおばあちゃんが一人でやってる駄菓子屋なんです。その店が開いて、店番のおばあちゃんがどーん居て、昭和っぽいアイスクリームケースがあって、子供たちがワーッとやってきてそのケースからアイスを買うみたいな。そういう商売が一番いいなと思っていて、うちの店にはそういう気軽さで来てほしいです。コーヒーもそうやって気軽に楽しんでほしいなあっていう気持ちがあったから、そんな高い値段で出しちゃだめだって思い、最初は620円ぐらいにしてましたけど今550円で出してます。 」

喫茶店を営む上でのコンセプトだけでなく、コーヒー豆にもこだわりがあるという。

「うちのコーヒーは全部フェアトレードのようなものです。 」

「農園行って、その人達ともうちゃんと対話をして、どういう人にいくら払ってとかいう、全部データがあるんですよ。うちのメニューの一番上には、オーガニック農薬不使用フェアトレード、エシカルなコーヒーを焙煎しています。と書いています。オンラインストアにも書いてあります。」


フェアトレードやオーガニックへの意識は、過去の経験からきている。 

「オーガニックはやっぱり国分寺での経験とかからきてます。そこでの学びとかもあるし、フェアトレードは多分スタバでもね、やっていたことだから。そもそも、フェアトレードって大事だなって思ったのは、そのスタバでの学びきっかけだったので。」

「オーガニックの認証を取るのはお金も時間もものすごくかかります。だから農薬や価格肥料を使ってないけども認証はないコーヒーは圧倒的に多いです。オーガニック認証がつくだけでも、コーヒーの価格はあがりますが、そういう力がない生産農家さん組合がまだまだ多いのです。そういう人たちのコーヒ買わなかったらその農家さんがやめてしまうかもしれないし、『いいや、農薬使ってしまえ。』となってしまったらかなしいです。

認証がもらえない農家はたくさんあるという。

「いっぱいいますね。めちゃくちゃいます。それをなるべくサポートしたいのです。頑張ってる人を応援したい。例えば、流行っているサードウェーブ系のコーヒーショップだと、素晴らしくクオリティの高いトップ・オブ・トップのコーヒーを揃えてるんです。一杯1300円とかするような、たしかに美味しいです。確かにおいしいけど、そういう農園のオーナーはお金持ちなんです。財力もあるからクオリティ上げるための投資ができます。そういうコーヒーはオークションで買われていきます。


言葉は悪いけど本当に札束で殴り合うような感じで、買っていきます。すごいなと思うんですけど。でもそういうところにコーヒー豆を出せない小規模農家さんもいっぱい居ます。。そういうところの人たちは、力がないから、組合みたいなものを作るし、

NPOの農業支援を受けることもあります。そして、その組合が使う共同の精製所を作ったり、バイヤーとの公正な取引ができるように努力しています。例えば『海ノ向こうコーヒー』という商社があるのですが、彼らは組合の方々が作ってるようなコーヒーを積極的に取り扱います。もちろん現地にも行くし、フィードバックもしているようです。」 


典子さんも現地の農園に行く機会があった。

「はい、去年インドネシアに行きましたね。バリ島なんですけど。北東地方の火山地帯で、とても良質なコーヒーが取れるんですよ。そこの生産農家をいくつか見せていただきました。学びだったのは、大体皆さん果樹園も持っていて、みかんの木とかバナナを育てていてい、その間にコーヒーの木を植えていました。そしてコーヒーには直接農薬散布してなかった。でもみかんの木にはどうしてもアゲハ蝶などが来ちゃうので、そっちに散布することもあるとのことでした。そこで農薬がかかることもあるから、無農薬のコーヒーとは言えないのだとおっしゃっていました。ほかに、虫捕獲用トラップもありました。ペットボトルの中に虫を誘引する、そういう手作りトラップがあっちこっちにありました。あとはそのコーヒーチェリーを精製するときに、その種子を取り出すためにチェリーをパルピングっていうんですけど、その剥いたものを家畜の餌にしていました。鶏がめちゃめちゃ食べてましたね。だから鶏肉が一番美味しいのかな?インドネシアは。美味しいと思います。ケージフリーですしね。家畜が農園内を好きに歩き回っていました。そういう場所で育てられるコーヒーは美味しいなあと思いました。」

「初めての体験でした。農園を見たことなかったので、すごい貴重な体験でした。勝手に、コーヒーの生産国は貧しいみたいなイメージを持つ人は多いと思います。お恥ずかしながら私も思ってたんですけど、その「豊かさ」の定義が違うなって思ったんです。交通インフラはがたがたで滅茶苦茶だったし、街はお世辞にもきれいとは言えず。それでもみんな幸せそうに笑ってるし、スーパーに行けば食材は豊富で豊かで、カフェもたくさんあって。自分の国で採れたコーヒーを自分で焙煎してカフェで提供できる環境で。とても素敵で満ち足りていると思いました。その時に農園をアテンドしてくれた方に言われたのが、『コーヒーの生産国を貧しいというイメージ持つのやめてほしい』と言われたんです。本当にそうだなと思いました。アジアのコーヒーはおいしい。日本から距離も近いので、輸送にかかる時間とかが短いっていうのもすごい良いことですよね。  」


世界最大のチェーン店で働いたり、友人と複数のポップアップ店舗を試みたりと、長年にわたる経験を積んでおり、コーヒー文化のプロフェッショナルである上條典子さん。しかしながら、カフェの経営はビジネスの観点から見ると、金銭的な面から簡単なものではないことも見えてくる。経済的に不安定な時代の中、小さなカフェは、チェーン店のような資本主義的市場経済ではなく、人間関係に基づいた草の根的な活動によって、都市の中に存在しているのだ。こうしたカフェは、街をより良い場所にするために一杯ずつ心を込めて作り上げている人々によって生み出された空間として、私たちが感謝すべき存在なのである。(ファーラー・ジェームス、矢島咲来 2月5日2025年)

 
 

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