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西荻町学とは:Livelihoods(生計)・Livability(暮らしやすさ)・Liveliness(まちの活気)

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西荻町学は、東京・西荻窪を舞台に、食、小規模な商い、移民、地域社会の暮らしを記録する、日英二言語の公開型のエスノグラフィーです。2015年以来、このプロジェクトでは、一つの地域を窓口として、現代日本の都市生活をめぐる、より広い問いを考えてきました。研究を導く三つのキーワードは、livelihoods(生計)・livability(暮らしやすさ)・liveliness(まちの活気)です。そこから生まれるのは、シンプルですが答えの定まらない問いです。経済の停滞、高齢化、社会的不平等の拡大、移民、そして都市景観の急速な変化が進むなかで、働き、暮らし、日々の生活を楽しむのに「よい地域」とは、どのような場所なのでしょうか。

その問いに入っていく一つの入口が「食」です。レストラン、カフェ、バー、食品店などの小さな商いは、人びとが生計を立てる場であると同時に、人間関係が生まれ、地域社会の姿が見えてくる場でもあります。この研究から浮かび上がってきた中心的な考え方の一つは、地域の飲食店が social infrastructure(社会的インフラ) として機能することがある、というものです。つまり、ごく普通の商業空間が、人びとの交流や支え合い、文化活動、起業、そして時には集団的な行動の機会を生み出しています。西荻町学が問うのは、地域社会が食をめぐる営み(foodways)をどのように支えているのかだけではありません。飲食店などの商業的な食の営みが、逆に地域社会をどのように支えているのかということでもあります。

なぜ西荻窪なのか?

西荻窪、通称「西荻」は、東京西部の杉並区にあり、JR中央線沿線に位置しています。20世紀初頭、東京の郊外化が進むなかで急速に市街化し、西荻窪駅は1922年に開業しました。しかし、その後の歴史は、吉祥寺や荻窪といった近隣のより大きな商業地区とはやや異なります。西荻の駅周辺では大規模な再開発が比較的少なく、今も細い道、小さな建物、路地、小ぶりな賃貸店舗が多く残っています。これまでの歴史資料からも、こうした街の物理的な構造が大型店舗の進出を抑える一方、小さな商いが入り込む余地をつくってきたことがうかがえます。

その歴史の一部については、西荻町学の 「西荻窪:狭間の町」 でも紹介しています。西荻は、もともと明確な境界をもつ一つの町というより、いくつかの地域のあいだに位置する場所でした。しかし、長い時間をかけて、「西荻らしさ」と呼べる地域の個性が生まれてきました。現在では、店主が自ら営む飲食店やバー、喫茶店やカフェ、骨董店、古書店、音楽スポット、職人的な小商いなどで知られ、より広く「中央線文化」と呼ばれる独特の文化圏の一角をなしています

ただし、こうした評判から、西荻を変わることのない「昔の東京」の名残と考えるべきではありません。西荻という地域は、昔から住む家族だけでなく、新しくやってくる人びとによってもつくられてきました。古い店が閉まり、新しい店が生まれ、人びとは日本各地から、そして近年では海外からもやってきます。その意味で西荻は、古くもあり新しくもある場所です。過去の暮らしや商いの痕跡を多く残す都市空間のなかで、その社会的な世界は絶えず変化しています。

小さな飲食店が集まるまち

食と酒は、この地域の商業環境のなかでもとりわけ目立つ存在です。西荻町学が2024年に食べログのデータをもとに作成したデータベースでは、西荻窪の調査対象地域に552軒の飲食店が確認されました。その内訳は、レストラン263軒、居酒屋117軒、カフェ104軒、バー68軒です。数人しか座れない小さなカウンターバーから比較的大きなレストランまで、また何世代にもわたって続く店から、数年だけ営業する実験的な店まで、さまざまな形があります。

料理の種類も同じように多様です。寿司店、そば屋、町中華、喫茶店、居酒屋、パン屋、昔ながらの日本の食を扱う店に加えて、フランス料理やイタリア料理の店があり、中国、ネパール、タイ、韓国、バングラデシュ、フィリピン、ギリシャ、アイルランドなどから来た移民が営む店もあります。そこにあるのは、固定した一つの「郷土料理」というより、絶えず変化し続ける地域の食の風景です。

私たちの 持続可能な地域の食文化についての研究 でも論じているように、この食の風景が地域にとって意味をもつのは、特定の伝統料理を固定的に保存しているからではありません。重要なのは、個人経営の店、職人的な仕事、人間関係、比較的手の届く店舗空間、そして日々の飲食がつくり出す、より広い生態系です。

小さな店が支える社会的インフラ

まず何よりも、こうした店は人びとの生計を支えています。レストランや食品店は雇用を生み、技術を身につける場となり、決して容易ではないものの、比較的参入しやすい「自分の店を持つ」道を開いています。西荻町学では、家業を継いだ飲食店主だけでなく、料理人、移民、子育て中の女性、元会社員、職人、大きな元手を持たずに自分の商売を始めた若者などを長年取材してきました。

西荻には、小さく、時には設備も十分に整っていない店舗物件が数多く残っており、それが歴史的に新規参入のハードルを下げてきました。同じ空間を共有する仕組みを使えば、そのハードルをさらに下げることもできます。初期の西荻町学の記事 「西荻のシェアリングエコノミー」 では、一つの飲食店の空間を、曜日や時間帯を変えて複数の経営者が使う事例を紹介しました。そこから得られる収入は必ずしも大きくありませんが、常設の自分の店を持つリスクを負う前に、新しい仕事を試し、人間関係を築くことができます。

しかし、生計だけが物語のすべてではありません。飲食の場は、人間関係をつくる場所でもあります。 常連客どうしが何度も顔を合わせ、店主が客に別の店を紹介し、飲食店主どうしも互いの店で食べたり飲んだりします。新しく地域に住み始めた人は、店のカウンター越しに街のことを知っていきます。最初は単なる商売上のやり取りだった関係が、少しずつ友人関係に変わることもあります。

こうしたプロセスは、移民にとって特に重要な意味をもつことがあります。たとえば 赤い鼻 の事例では、中国から来た女性が、当初は周囲からかなり警戒されながらも、客や近隣の店主との長年のやり取りを通じて、小さな飲み屋横丁の人間関係のなかに深く溶け込んでいきました。また ぷあん は、タイ人女性と日本人女性の長年の友情から生まれたタイ料理店で、常連客による一種の「家族」を育てる一方、西荻をアジア各地に広がる食と人のネットワークにつないできました。こうした事例は、移民が経営する飲食店を異文化間のサードプレイスとして捉える比較研究 にもつながっています。

ケアの場

調査を重ねるにつれて、西荻町学では社会的インフラのもう一つの側面、つまりケアにも目を向けるようになりました。

こうしたケアの多くは、ごく日常的で、見過ごされやすいものです。店主が、つらい一日を過ごした常連客の話を聞く。高齢の常連客がしばらく姿を見せていないことに誰かが気づく。店主が新しく来た人を地域の別の人に紹介したり、店とは直接関係のない困りごとの相談に乗ったりする。常連客もまた、店主や他の常連客を気にかけています。

小さなバー「こぎく」は、こうした都市のサードプレイスを特によく示す事例です。店主は、客が「帰ってこられる」場所をつくりたいという思いをもって店を営んできました。その姿勢の背景には、自身が子育てをしながら、不安定な接客の仕事を続けてきた経験があります。彼女の物語 からは、料理、もてなし、感情労働、商売、そしてケアが、地域の小さな店のなかで切り離せないものになりうることが見えてきます。

もちろん、こうしたケアは公的な福祉制度の代わりになるものではありませんし、小さな飲食店がどこも温かく、誰にでも開かれているわけでもありません。それでも、顔を合わせる関係が繰り返されることで、お互いの存在を気にかけ、支え合う非公式なネットワークが生まれることがあります。インタビューでは、西荻は女性が一人でも飲みに行きやすい街だという話を聞いてきました。その理由の一つは、周囲の人がさりげなく気にかけてくれるからです。また、危機が起きたときには、こうした普段は目立たない関係が、よりはっきりとした助け合いの形で現れることもあります。

文化的インフラと都市の文化遺産

小さな商業空間は、文化的インフラにもなります。カフェやレストランでは、音楽家や芸術家、作家が集まり、講演、展覧会、読書会、地域の出版活動、そして数え切れないほどの何気ない会話が行われています。店が閉まれば、そうした活動の一部は、ほとんど痕跡を残さず消えてしまいます。

その歴史的な例として最も印象的なものの一つが、1947年創業のフランス料理店・喫茶店「こけし屋」です。こけし屋は、戦後の特別な文化サロンとなった「カルヴァドスの会」と深く結びついていました。そこには作家、研究者、音楽家、芸術家、批評家、経営者などが集まり、会は何十年にもわたって続きました。その結果、こけし屋は西荻の文化的な記憶に深く刻まれることになりました。西荻町学の事例研究 「東京の一つの街を形づくったフランス料理店」 では、この世界を詳しく紹介しています。こけし屋の旧建物は2023年に取り壊されましたが、2026年には新しい建物で営業を再開しました。

ここから、西荻町学のもう一つのテーマである都市の文化遺産という問題が見えてきます。文化遺産とは、保存された記念建造物や、公的に認められた伝統食だけを指すものではありません。路地、古い商業建築、喫茶店やバー、人をもてなす作法、食べたり飲んだりする習慣も、積み重なった歴史を宿しています。「Grimy Heritage」についての論文 では、見過ごされがちでありながら独特の価値をもつ、こうした飲み屋街の景観を取り上げました。また、東京の街飲みに関する研究 では、小さな飲酒空間の独特の密度と人びとの距離の近さが、都市の社会生活の質感をどのように形づくっているのかを考察しました。

日常のつながりから地域の活動へ

こうしたネットワークは、ときに 地域の市民活動を支えるインフラ にもなります。レストランやカフェは、情報を交換し、イベントを企画し、近所の人を支え、地域の変化について話し合い、時には政治的・環境的な問題をめぐって行動を起こす場にもなります。

たとえばコロナ禍では、地元の住民や飲食店主が 「西荻テイクアウト」 を立ち上げ、情報を共有し、危機に直面していた店を支援しました。まったく別の事例である 「大きなけやきと共に人とつながるカフェ」 では、小さなカフェとそこから広がるネットワークが、伐採の危機にあった大きなケヤキを守る運動の中心になった過程を紹介しています。地域発の出版活動や地図づくり、西荻ラバーズフェス のようなイベント、まちづくりの取り組み、再開発への反対運動なども、店主、客、住民を結ぶネットワークのなかから生まれてきました。

ただし、こうした政治的な動きは、地域の社会的インフラから生まれうる一つの可能性にすぎません。もっと日常的には、同じネットワークが、友人、客、仕事、情報、楽しみ、あるいは困ったときに手を貸してくれる人を見つける助けになっています。

変化にさらされる都市生態系

こうした社会的インフラは、どれも当然に存続するものではありません。

西荻では、物理的なインフラと社会的インフラが互いに関わりながら育ってきました。古い建物、細かな敷地割り、路地、小さな賃貸店舗、住宅と商店が混在する通りが、ある種の小さな商いを可能にしてきました。そして、そこで営まれる商売が、人間関係や文化活動、地域への愛着を生み出してきました。

しかし、その両方が変化にさらされています。店主が高齢になり、後継者がいないまま引退する。古い建物が取り壊される。家賃や営業コストが上がる。個人店がチェーン店に置き換わる。消費行動も変わります。そして、コロナ禍のような危機は、何十年もかけて築かれた店を突然揺るがします。その一方で、新たな移民、料理人、職人、起業家、住民が入り、西荻という地域を絶えずつくり変えています。

そのため西荻町学では、「コミュニティ」を、最初から調和していて、形を変えずに保存すべきものだとは考えていません。むしろ、何が維持されているのか、何が消えつつあるのか、何が新しく生まれているのか、そしてそれは誰にとってなのかを問い続けます。livelihoods(生計)、livability(暮らしやすさ)、liveliness(まちの活気)を考えることは、経営の存続、社会的包摂、文化的継承、開発、変化のあいだにある緊張関係を考えることでもあります。

地域を方法として捉える(Neighborhood as Method)

西荻町学は、長期にわたるエスノグラフィー調査を基盤としています。2015年以来、店、店主、職人、地域団体、その他の地域の担い手について、100件を超える詳細な事例研究を行ってきました。それに加えて、インタビュー、参与観察、日常的に店に通うこと、地域イベントへの参加、長期にわたる地域生活への関わりを通じて、膨大なフィールドノートを蓄積してきました。初期の記事の多くは現在も 西荻町学アーカイブ で読むことができます。

私たちは、このアプローチを 地域を方法として捉える(Neighborhood as Method) と表現することがあります。一つの制度や一つの人びとのカテゴリーから出発するのではなく、一つの地域に長く居続けることで、さまざまな領域がどのようにつながり合っているのかを見る方法です。たとえば、一人の飲食店主が、同時に移民であり、親であり、職人であり、雇用主であり、近所の住民であり、別の店の常連客であり、文化活動の担い手や地域活動家でもあるかもしれません。一軒のカフェも、職場であると同時に、商売の場、サードプレイス、非公式なケアのネットワーク、文化の場、そして地域のランドマークになることがあります。

公開型のエスノグラフィーであることも、この方法の中心です。西荻町学の長編エスノグラフィーは日本語と英語で公開され、研究者だけでなく、私たちが調査している地域の人びとや、東京の暮らしに関心をもつ一般の読者にも読める文章を目指しています。インタビューに基づく原稿は、取材に協力してくださった本人に確認してもらい、公開への同意を得ています。また、店主、住民、読者、共同研究者から寄せられた意見や反応が、その後の調査を方向づけてきました。

西荻から、より広い問いへ

西荻町学の調査範囲は一つの地域ですが、そこから生まれる問いは西荻だけにとどまりません。このプロジェクトをもとに、飲食店と社会的インフラ、持続可能な地域の食文化、移民と異文化間のサードプレイス、都市の文化遺産、飲食業における起業、都市のサードスペースとしての飲み屋、地域飲食店におけるエスニックな担い手の交代、コロナ禍における地域の持続力と回復力、ケア、草の根の市民活動など、さまざまなテーマについて研究してきました。ダウンロード可能な論文を含む詳しい一覧は、Academic Publications のページをご覧ください。

これらの学術論文の多くは英語で発表されています。一方、西荻町学の長編エスノグラフィーは、日本語と英語の両方で公開しています。

この非営利の学術プロジェクトは、上智大学の都市社会学者、ファーラー・ジェームスが主宰しています。これまで、西荻町学で公開してきた個々の事例研究の制作や、その背景となるフィールドワークには、上智大学をはじめ他大学の多言語を使う学生たちが、リサーチ・アシスタント、インタビュアー、翻訳者として参加してきました。プロジェクトに協力したメンバーには、清水美栄、木村史子、香村栄実、高瀬碧海、松村有咲、王川菲、Cloé Pipa-Despres、ブラック・ 根岸 エリカ、田中泉、神山 玲奈、川嶋寿里亜、康義金、勝部利彩、野本愛、本村まりさ、吉山まりや、河合真由子、下岡凪子、木村奈穂、ファーラー・セージ、矢島咲来、Alejandra Dorado-Vinay、荒井香穂、サルスバーグ莉奈、Shion Conoway (河野 至恩)、Mai Schrock (真鍋 麻衣)、Elif Erdogan、劉トーンがいます。最新の英語稿では、公開された事例研究だけでなく、背景調査やフィールドワークに参加した研究協力者もこの範囲に含めています。

2015年から2024年まで、木村史子が日本語編集を担当し、公開された事例研究の制作における中心的な協力者でした。100件を超える事例が蓄積された現在、プロジェクトの方向性は学術的な分析と論文の執筆へと移っていますが、引き続き折に触れて新たな事例研究も公開しています。また、西荻での研究を発展させる新たな食研究プロジェクトにも取り組んでおり、その一つとして、多様な研究者と連携しながら、移民が経営する飲食店についての新たな比較研究を進めています。

西荻町学の研究は、上智大学比較文化研究所、日本学術振興会(JSPS)、および カーネギー倫理国際問題評議会 のRobert J. Myers Fundから支援を受けてきました。2023年3月には、文化庁から食文化「知の活用」振興事例として西荻町学が選定されました。また、NHK WORLDをはじめ、多くの活字・映像メディアを通じて、地域の食や都市生活をめぐる議論にも貢献してきました。

本ウェブサイトの内容は研究者自身の責任によるものであり、支援機関の見解を代表するものではありません。西荻町学のコンテンツの著作権はファーラー・ジェームスに帰属します。無断転載・複製を禁じます。

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