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西荻で音楽タイムスリップ

淡いブルーの壁に掲げられたフィンランド映画のポスター、1910–20年代のジャズ、木目調のテーブルにコーヒーの香り。そんな独特な雰囲気を持つのは、2010年に西荻窪にオープンした喫茶店「JUHA (ユハ)」だ。オーナーの大場俊輔(おおば しゅんすけ)さんは、十代の頃からの音楽とコーヒーへの情熱をさらに発展させ、一世紀前のブルースやクラシック音楽で現代社会を生きる東京人の心を癒す空間を作り上げた。

 

「僕は音楽とコーヒーがあればもう。『俺が客だったら通う』っていうのがお店をやっていく上での最低ラインだと思う。」

大場さんは、ユハを経営する上で最も大切にしていることをこう話す。お店を始めたのも、喫茶文化への熱い思いからだった。

「もともと純喫茶、ジャズ喫茶、名曲喫茶が僕は好きで、巡ってたりして、いつか自分もやりたいなっていうのは思っていて。ずっと僕は、新宿の『らんぶる』っていう喫茶店と中野の『マグス』っていうカフェで働いていたんですど、三十一歳ぐらいのときにお金も貯まったので、自分の店を始めました。」

 

お店を出す上で西荻窪を選んだ背景には、大場さんとこの街の深い繋がりが関係している。

「西荻はもう『どんぐり舎』がすごく好きで、古本もあって昔よく行ったりして。僕バンドもやっていて、『WATTS(2005年閉店)』っていうライブハウスがあったんですけど、そこでよく十代の頃ライブやったりして。西荻にはよく来ていたので、お店を出すなら喫茶文化と古本文化がある西荻がいいなっていう。」

 

お店の名前と内装は、1999年に「JUHA 」という映画を製作したフィンランドのアキ・カウリスマキ監督から着想を得たと大場さんは語る。

「アキ・カウリスマキの作品が若い頃から大好きなんです。彼がこの淡いブルーの色を作品の中でよく使うので、この色を使った空間を作ろうと思って。扉を開けたら日常とは違う空間に入れるように意識して作りました。」

 

ユハの大きな特徴は、店内で流れる音楽である。一般的な喫茶店で流れるジャズやブルースは、主に戦後の曲である。一方、ユハではさらに昔の1920〜30年代のものをメインで流す。そこには、様々なタイプの喫茶店に自ら足を運んできた大場さんならではのこだわりがあるそう。

「最初はやっぱり、ジャズ喫茶、名曲喫茶、タンゴ喫茶とか意識して、古いタンゴとかもメインで流してました。でも最近はどんどん年代が下がっていって、ジャズも最初は50年代が多かったけど、今は20〜30年代になっていて。地続きと言って、戦前のブルースとかジャズも繋がってくるんですけど、クラシックも戦前のものに今下げていっています。他のお店もかけてないし。周りにも誰も詳しい人がいないから、自分で掘り下げていく面白さもあって。」

 

選曲に加え、曲を流す方法にも大場さんのこだわりが見られる。

「やっぱりCDだと、音が壁みたいな感じだけど、レコードだと空間があるっていうか。雰囲気を作るのにそれは大事ですね。LPにこだわるとやっぱり純喫茶とか名曲喫茶のレコードなんですけど、そういうとこも継承して、次の若い人まで繋がったらいいなとは思います。若い人もLP面白いなって思ってくれて、こういうお店やってくれたらいいな。」

 

そして、レコードがお客さんとの会話のきっかけにもなるそうだ。

「そのレコードがどこに売ってるか聞いてくれたりとか。あとやっぱりご年配の方とか、『聴いたことある!』とかありますね。戦前のブルースは、外国人の方に喜ばれることがすごく多い。」

 

音楽に加え、ユハのもう一つの大きな特徴が自家焙煎コーヒーである。焙煎士から直接学んだという深煎りの方法にも、大場さんのコーヒー愛が詰まっている。

「若い頃は、レコード屋さんに行ってレコード買って、喫茶店に入って買ったレコード眺めながらこうやって飲む、っていうのがセットだった。それでコーヒー好きになって、最初は仕入れてやってたんですけど、自分でもやってみるっていうチャンスがあって。僕は深煎りが好きなので、いろんな人にコツを聞いたりして。中川ワニさんっていう焙煎士がいて、その方の手網でのやり方を落とし込んで、手回しでいます。よく有名なお店とかは、『どこどこ産の豆で、なんとかで…』とかありますけど、僕そういうのはうっとうしいと思っていて、おいしけりゃいいじゃねえか、っていうのが僕の考えです。」

 

大場さんは毎朝九時ごろにお店に到着し、買い物から始めるそうだ。そして仕込みをしてから昼の十二時にオープンし、夕方六時にはお店を閉めるそうだ。

「昔は夜の十二時までやってたりして、でもそれで体を壊して。今はコロナだし、夕方になるともう帰らなきゃっていう気分になるから、それもあって早く閉めていて。朝早く起きて体を守りながらやっています。」

 

レコードの選曲やコーヒーの焙煎だけでなく、メニュー作りから仕込みまで全て大場さん一人で行っている。そんな大場さんに、人気メニューとメニュー作りについて伺った。

「今人気があるのは、レモンクリームソーダですね。あとは普通にコーヒーも。パンとかスコーンは『ぐーちょきパン屋』さんからで、ケーキは全部自分でやっています。コーヒーゼリーとか甘い系はちょくちょく増やしてますけど、きっかけがない限りメニューは基本変わらないですね。始めた頃は、新メニュー新メニュー新メニュー…っていう、それをやらなきゃお客さんが来ないんだっていうのが頭にあったけど、今はもう『うちはこれです』、だから合わなかったら来なくていいし、合う人は来てくれるだろうし、っていう。あとは、お客さんに媚びちゃうと、新メニュー新メニュー…で疲れるから、もうお客さんに媚びないで、『うちはもうこれなんです』っていう。」

 

大場さんが最初に西荻窪に対して抱いていたイメージと、実際にユハに来るお客さんは少し違っていたと言う。創業から約十一年間を振り返り、かつては古本屋やレコード店を訪れる人々で溢れ、最近では美食家たちが集う街へと変化を遂げた西荻窪の変遷について話してくれた。

「僕はその、十一年前とか古本屋とかレコード屋、喫茶店とかが西荻にあったりして、そういう文化人っぽい人が多いのかなって思ったら、全然いなくて。あと、十一年前はお店がこの辺になかったんですよ。だからやばいなって思ったら、何がきっかけかわかんないけど、西荻が急にこう、まあ『オルガン』が来たことで、飲食関係の人たちもこの辺に興味を持ち出して、そしたらワインバーとかたくさんでき始めて。それでだんだん飲食が盛り上がっていって、吉祥寺は家賃高いからできないけど、西荻ならできるっていう人も移ってきて。最初の頃は、西荻ってお店同士がすごく繋がっているので、お客さんを紹介し合うみたいなのがよくありましたね。でも、最近は新しくいろんなお店が増えてきて、もう知らないうちにお店ができてるから、繋がりが前より薄くなったなっていうのはありますね。」

 

現在のお客さんは、三、四十代の女性がメインで、読書をする方が多いという。インスタグラムやツイッターがきっかけでユハを訪ねる人が多く、ふらっとお店に入ってくる方はあまりいないと大場さんは語る。

「うち、このサビついてるドアがやっぱり入りづらいから、『前からずっと気になってたけどやっと入った』っていう人が多い。」

 

ユハを含め複数の喫茶店で働いてきた大場さんに、経営の視点から喫茶店ビジネスについて伺ってみた。

「喫茶店ははっきり言って難しいです。五百円商売なので、お客さん来てなんぼの商売だから、最初の五年間ぐらいは本当にきつかった。今はいろんな雑誌とか作家さんとか取り上げてくれたりして、だいぶお客さん付いてきましたけど。カフェをやるのは簡単に見えると思うけど、開けるのは誰でもできるけど、とちくるったぐらいに好きなものがないと続けられない。」

 

コロナの影響について大場さんに伺ってみた。

「お客さんの数は減りましたね、なんとか食ってる感じです。協力金もらったりとかして、とりあえず乗り切って、そこからまたスタートだなっていう考えだから。とりあえず今はしのぐ、っていう。常連さんの来る回数もやっぱり減りましたし、最低でも週一回来てたのが月一回とか、二ヶ月に一回とか。僕自身も喫茶店に行く頻度は減りましたし。今も一組二名90分以内でお願いしてるんですけど、声の量が三人だと一気に増えるんですよ。」

時に、声が大きいお客に対して他のお客からクレームが入ったりと、コロナ禍での接客による気疲れもあるようだ。

 

コロナ禍でも、コーヒー豆とレコードの販売を通して、大場さんはお店を守るための工夫をしている。

「ちょうど二年前ぐらいから僕焙煎を始めたんですけど、コロナで在宅の人が増えたので、この辺にいる人が日中でもおうちでコーヒーを飲むっていう人が増えて、コーヒー豆の需要は増えました。レコードも、前は、俺がかけて良かったら自分で調べてくれ、っていう感じだったけど、今はせっかくだからって、今年からレコードを売り始めて。レコード屋さんで見ていて、五百〜六百円でいい音楽が買えるのに、もったいないなって思って。だったらうちのお客さんに買って欲しいなって。」

 

喫茶店ビジネスにおいて、十年間お店を続けるというのは大きな成果である。今後の展望について大場さんは、「とりあえずこの空間を維持するのと、あと本当はもっと色んな種類のコーヒーを焙煎してやっていきたい」と語る。

喫茶店は、ビジネスモデルというより、オーナー自身にとって一種の表現方法である。まさにユハは、大場さんの音楽とコーヒーへのこだわりを体現していると同時に、日本の喫茶文化を西荻窪スタイルへと変貌させたと言えるだろう。(ファーラー・ジェームス・木村奈穂、木村史子、1月4日2022年)

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