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西荻のシェアリングエコノミー

近頃、一つのスペースで別々の経営者が別々の飲食店を経営する、いわゆる共有経済的なビジネスモデルが中央線周辺にもよく見られる。同じスペースで週一回だけ経営するバー、ある有名レストランではランチテイムだけ別のシェフが担当している、など、時間と空間の割り方はそれぞれ違うものの、このような経営形態が増えてきていると感じる。一つのスペースで二つのビジネスが同居するものもある。例えば、レンタルスペースとキッチン設備を共用し、会計は別々にするというものだ。このようなやり方を選ぶのには様々な事情や動機がある。自分で店を開くには資本が足りない、フルタイムではなくある時間だけ働きたい、趣味でお店をちょっとやってみたいなどなど。これらは全てシェアリングエコノミー(共有経済)と言える。

西荻駅から徒歩2分ほどのビルの三階にある、とてもクールなカフェスペースはその良い例だ。ここ+café(たすカフェ)は、午後三時からコーヒーと軽食を提供する。 三時までは同じスペースで、Hulot Café(ユロ・カフェ)が美味しいボルシチランチと飲み物やデザートを提供する。店主もメニューも違う。+caféはこのスペース借りているオーナーの経営であり、Hulot Caféは+caféのスペースを時間借りし、時間賃貸料を支払っている。

Hulot Caféの店長は若い女性の金田さん。彼女は神戸に13年間住んでいた。Hulotで作る料理の主なレシピは、神戸で5年間務めたカフェで学んだものだ。神戸風ボルシチは常に看板メニューとして提供している。もう一つのランチメニューは週替わりで出されている。 デザートもおいしく、特にローズマリーのクレームブリュレは絶品だ。「もともとパティシエになりたくて、お菓子の専門学校も出た。」と彼女。専門学校を出た後、パティスリーもあるカフェに勤めた、ここでランチを担当し、それからしばらくして退職するランチ担当シェフの跡を継ぐことになった。「そこで、パスタとかボルシチをやっていた。やってみたら料理の方があっていたようで、それからずっと料理でカフェをやりたくなった。」

金田さんはご主人の転勤で東京にくることになった。彼女が東京に行くことを勤務先の上司のシェフに話すと、「きみにあっているよ。」と阿佐谷に住むことをすすめられたそうだ。しかし、阿佐ヶ谷にいい物件がなく、不動産屋に紹介されて西荻になったそうだ。(やはり、人気の吉祥寺と阿佐谷に狭れている西荻は、よく第二の選択肢になるようだ…)

「絶対カフェに就職したかったので、探して、東京近辺のカフェでお茶したりしていた。ここ(+café)にははじめはお客できた。歩いて、たまたま見つけて入った。オーナーはおもしろいし、週末は違う方がやっていたので、わたしも貸していただけないかなーと思って、お願いして、やらせてもらうことになった。」
 

Hulot Caféの名前は、ジャック・タチの1953映画「ぼくの伯父さん」の主人公のおじさんの名前、ユロおじさんの名前からとったそうだ。今年で三年目。最初は月に一回、土日だけ借りてやっていた。ほかでアルバイトもしていて、ここ中心ではなかったそうだ。「でも、神戸のときのように、いつも自分の料理を出すということを日常にしたかったので、平日も出させてもらえないかと二年目にお願いして、二年目から平日のランチをはじめた。」

金田さんにとって、シェアリングエコノミーはそう楽なものではないようだ。 11時オープンなので、10時には来て準備をはじめる、 そしてお店は3時まで。+caféの調理場では簡単な調理しかできないので、料理は自宅で作る。うちに帰ったら毎日遅くまで料理の準備しなけらばならない。作った料理は大きな保冷ケースに入れ、それを持って毎日店に通うのである。 月一回、第二土日は丸一日夜までやっている。 

「そんなに儲けはない。なんとかプラス、黒字にはなっているが、一人で生計を立てられるぐらいまでいってない。結婚して夫がいるので助かっている。養ってもらっている。自分でも生計がたてられるぐらいになればいいんだけど…。」

将来的に金田さんは独立したいが、なかなか難しいとのこと。「資本がそんなにないし、ちょうどいい物件もない。このあたりはなかなか飲食をするための物件が出てこない。」

カフェスペースに入ると、すぐさま、「これはデザイナーが作ったカフェだ」と感じた「。実は、+caféは建築家の岩間さんの事務所兼caféではじめたものだ。「営業も兼ねて人と話ができる空間が欲しかったのでこの形にした。」と、岩間さん。「その当時の仕事仲間と二人で、九割ぐらいは自分たちで内装をやった。 家具からランプまで自分たちで作ったり用意した。その後一人はぬけて、今はまた一人、グラフィックデザイナーと二人でやっている。上の階でブティックホテルもやっている。」

岩間さんはもともと西荻の出身。実家が西荻でそこで仕事していたが、結婚して妻ができたのでそこで仕事はどうか…となった。しかし、電車に乗っての通勤は嫌だった。自転車に乗っていける距離がよかったので、西荻に事務所を借りた。岩間さんは建築の勉強でオランダに留学、小さいころはアメリカ、ニューヨークの田舎に住んでいた。なので、英語は堪能。カフェとホテルのお客には外国人も増えてきている。

「はじめは、事務所+café という意味で +café。営業もできて、話せる場所が欲しかった。儲けはトントンであればいいと思っていた。一般の人、不特定多数の人と会える場所を持っておけば自分たちの仕事にもいいし、何かイベントをやるにもいい。」

そのうちに、家賃を払えるぐらいのお客さんが来るようになったが、カフェが忙しいときは本業(建築の仕事)が厳しくなってきたそうだ。特に土日は忙しく、岩間さんたちでカフェをやるのが難しくなってきた。それで、週末は賃貸カフェにして、当初は1週目はだれ、2週目はだれ…といった感じで回しはじめたそうだ。

「ただ、4週違う人でやっていると、人の入れ替わりがあるので置く荷物が増えたりするし、空いてしまったときは自分たちでやらないといけないのでちょっと大変だった。今は金田さんでやっているので安定している。」

今、岩間さんは西荻の食材を+(たす)caféとしてやっている。西荻北のモグモグ(手作りハムやソーセージなど)、ポム・ド・テール(ベーグル)のような、イートインがないお店の食材をちょっと食べられるお店としてやっている。コーヒーは西荻南の「豆の木」。西荻の特徴が出るカフェにしている。
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現在は、建築の仕事と、ホテルとカフェ経営が半分半分になってきたそうだ。ホテルは、同じビルの四階にある。部屋は一つしかない。Airbnbを通してきたお客は観光客が多いが、東京の中で西荻という町を知っている時点で、若いとき西荻にいたとか、今はニューヨークに住んでいるが以前吉祥寺に住んでいて一時帰国で、といった人が多いそうだ。リピーターのお客も増えてきているそうだ。

シェアリングエコノミーによって、人と人がつながり、町と繋がり、そして広い意味で「世界」が広がっていっている。(ファーラー、木村、1月17日2016年

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