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町の八百屋と日本農業の未来

西荻窪の料理人と話をしていると、しばしばある八百屋の名前があがってくる。八百屋の名前は小高商店。銀座通りから細い道に入り、しばらく歩くと左の角っこ。すぐにたくさんの種類の野菜達がうず高く積まれた店を見つけることができる。店主は小高吉行(こたか よしゆき)さん。小高商店の二代目の店主だ。従業員は社員とパートタイマーを併せると十名ほど。町から「八百屋」という野菜や果物の小売店が姿を消しつつある昨今、ここ小高商店には客足が絶えない。

 

一代目のおじい様の代に、北銀座通りにあった昭和のマーケット(1970年代・昭和五十年代ごろまでの日本で中心だったマーケットのスタイル。八百屋、肉屋、乾物屋、雑貨屋などなどの店が同じ敷地内に集まっている場所)から商売をスタートした。ここには西荻界隈の子ども達がみな知っているおもちゃ屋・恵比寿もあった。ー今はもうなくなった1969年(昭和44年)大阪豊中市大成ストアーの画像、現在残る川崎昭和マーケット、1966年(昭和41年)の八百屋の映像。これらから当時の買い物の様子をうかがい知ることができるだろうー。

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小高さんは、昭和スタイルのマーケット時代の様子をこんな風に話してくれた。 

「むこうからね、ちょうど六十五年くらい経つんですよ。西荻で。銀行の前。お菓子屋さんがあるでしょ?和菓子屋さん。上がマンションの。あそこがマーケットになっていたんですよ。だいたい十二~三店舗、中に入っててね。いつでもね、賑わってたんですよ。あの頃全盛期だったねー。生活必需品はそろってたんですよ。」

 

「あの頃は、おもしろかったね。(青物市場で)買ってくるとお客さん外で待ってるんですよ。トラック横につけてね、下ろしながら、『ちょっと待ってよ、待ってよ』って。結構続きましたね。三十年間くらい。あれはほんとの商売だったね。お客さんもまた喜んでくれたし。その日のもん食べられたでしょ。トラックから下ろすからね、その新しいもんをお客さんがうれしくて待ってる。それにね、今みたいにハウスものとかいろいろ手を掛けたものがなかったんですよ。旬のものだったからね、何食べてもおいしかったんですよ。(産地は)百パーセント国内でしたね。」

 

しかし、1976年(昭五十一年)、大手スーパー西友が西荻窪駅横(現在の南口出てすぐ左のドラッグストアーがある場所)にでき、マーケットは廃れていく。

「西友やなんかのスーパーできたでしょ。それで分散されるようになって。あの、みなさん、売り上げ減っちゃって、出ちゃったんですよ。ふつう勝てないんですよ。普段来ていた人が一週間に一ぺんくらいになっちゃうんだよね。毎日来てた人が…。」

 

マーケットは閉鎖され、マンションになった。小高商店は一店舗としてマーケットの外に出ざるを得ない状況になった。しかし…

「お客さんがついて来れたのがよかった。だからそのまんま、どこ行っても怖いもんないっていう、品もん(品物)に自信あるから。」

と、ニコニコ顔で話す小高さん。売っている野菜に並々ならぬ自信を持っている様子がうかがえる。

 

 

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自信の野菜の仕入についてうかがった。小高さんは仕入には毎日行く。

「基本的毎日行きます。毎日行かないとだめです。」

仕入先はもちろん青物市場。

 「(昔は)こちら(杉並区界隈)にも市場があったんですよ。(卸売り)業者が減っちゃったからだんだん小さくなっちゃって。結局今、四店舗五店舗あったところが集約されてね。新宿の淀橋(新宿淀橋市場)のところとか太田(太田市場)とか。小さいところは商売が、生活が成り立たないから。最初はね、淀橋青果っていうのがあったんです。あそこが本元だから。あそこから品物を(他の市場に)分けて…。そんな感じでやってたんですよ。そうね、二十五年くらい経つからほとんど業者が来なくなっちゃって、そこでそこにあった市場も撤退して練馬(練馬青果卸売市場)の方に統合して。うちもそこに行って。」

多摩青果の方に行ってるんで。(業者は)そっち行って今生き延びてるんだけど。東京多摩青果。国立のところ。」

卸売市場の統廃合で、仕入れ先が変わっていったが、現在は、多摩青果で野菜を卸しているそうだ。

 

昔、青物市場では競り(築地市場青果の競りの様子)が行われていた。

「昔は競売ってあったんですよ。六時ごろ。競り(せり)ね。でも、八十パーセント…百パーセントなくなっちゃったね。もうそれが、ほとんど農家と指値(さしね)っていうのがあるんですよ。この値段で売ってくださいっていう。何の品物でも値段がついてきたんですよ。最近はね。そうね、三十年くらい、もう競りってなくなっちゃったね。」

「これがまた面白いんですよ。競り。うまくいった人と損した人といるわけなんですよ。最初千五百円で買って、それが最後千円とか八百円とかになるでしょ。それがおもしろくてね。みんな一生懸命。」

野菜のよしあしと周囲の状況を見ながら行う競りは、とてもおもしろかったと小高さんは語る。

 

今も昔も、野菜は八百屋であれスーパーであれ、基本的には青物市場で仕入れることになっているそうだ。

しかし、競りがなくなりほぼ百パーセント卸値が決まっている今、大手スーパーの中には年間で値段を決めて農家と契約をするところも増えてきている。

「大手は生産地と契約するんですよ。そうすると年間の値段も安定するでしょう。農家さんもその方が安心感あるから。それ、八百屋はムリですね。なので市場を通してそんな感じでやるんですけど。(農家と契約するのはできないの?)それはちょっとね、むずかしいよね。量をこなせないと。」

これだけの量の野菜を置いている小高商店でも、スーパーが仕入れる量には全く太刀打ちできないのだそうだ。

 

小規模の地元農家が地元のスーパーに野菜を卸し、それが野菜売り場の一角で「地元産野菜」として売られているのを見かけたりもするが・・・。

「そうそうそう。あれはまた農家さんも楽しいんですよね。市場へ出しちゃうとたたかれちゃうから。品物がダブっちゃうから。せっかくおいしいもの作っても。だから、道の駅とか、やってるでしょう( 道の駅の野菜売り場の様子)。(露地売りとかも?)そうそう。あの系統が三割くらい。市場の入荷が減っていますよね。(以前は)百パーセント市場に来てたから。」

 

では、八百屋も直接農家から卸すことはできないのだろうか。

「そんなことをやると市場さんが、農協が(農家の野菜を)買ってくれなくなっちゃうんですよ。農協通した方が品物片付くことは片付くから。多い品物も片付くから。でも、どちらに転んでも今の時代農家さんがいちばーん……。あれだけ働いても、来る日も来る日もね…。」

話をうかがっていると、八百屋の上流に位置する農家、それも小規模農家にとって、今の野菜の流通システムはなかなか厳しいもののようだ。農林水産省「食品流通段階別価格形成調査(平成二十九年度から推計)」によると、野菜の卸売価格(小売店が仕入れる時の値段。売値はこれに小売店の諸経費、利益を上乗せする)のうち、生産者が受け取れる収入は約六十二%だ。農家の数が年々減る要因の一つでもあるだろう。

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杉並区も元は農家が多かった地域である。杉並区の農家の状況についてもうかがってみた。

「もう後継ぎがいないんですよ。なんで自然と…売らないといけないでしょう。…どこでも、いろいろありますよ。」

ここ杉並区でも、農家は減っていっているのだ。

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話を小高商店のことに戻す。銀座通りのマーケット時代から現在の場所に移転してからの商売の様子についてうかがってみた。

「ぼちぼち二十年ですね。やっぱしね、ここ広いからね。前はこんなに広くなかったからね。品(しな)もんを色々置けるじゃないですか。そうすると自然と業者(飲食店)もお客さんも増えるんで。やっぱりそうなると責任感も出てきてね。品もん、あれが欲しい、これが欲しいって。で、極力旬のものをそろえてあげる。」 

 

小さな八百屋とスーパーの戦略の違いについてもうかがってみた。

「スーパーさんは一年中同じ感じだけど。やっぱしね、バイヤーさんだと、(お客と)対面じゃないから。品もんをそろえるだけ。我々だと対面でお客さんとやってるからね。自分が食べておいしくないもの売っちゃったら次に続かないでしょう。だからそれが一番気を付けてやってる。それだね。だから、はずさないようにね。相場的に合わなかったら入れないです。結局(お客さんに)負担掛けちゃうからね。それだったら他のもので。」

「いやー、うちのお客さん、おかげさまで多いんですよ。そいで、個人のお店が多い町でしょう?だから、品もん、ほしがるわけなんですよ。そこを気配りしたりとかね。今日はこれがいいなっていうので入れたり。」

毎日山のように仕入れる新鮮な野菜がきちんとはける要因として、飲食店が多い西荻という地域性もあるようだ。

 

飲食店とは契約して計画的に野菜を入れているのかと思ったら、そうでもないそう。飲食店の人は直接小高商店に足を運び、自分の目で野菜を確かめて求めていくことが多いとのこと。

「そいでないと商売していても、今日はこういう献立しようって、料理屋さんも日替わりで決めて。見に来て献立決める人が多いですね。今日はこれがいいよって勧めて。そんな商売やってます。注文はね、来てますよ。それはもう完璧にそろえておいてね。(例えば、お鍋を出す料理店の為の鍋のためのものとか?)そうそうそう。その品もんに対して、はずれないように。ABCなんて品もんあるでしょう。そこで、Aだと高いから。そこで、Cの中のおいしいもの探しておいてあげたらまた喜ぶし。Aは高いので当たり前だから。」

なるほど。小高さんが目利きをし、安くていい野菜を買う相手の立場に立って選ぶ。これが小高商店が繁盛店として続いている理由だろう。

もちろん、普通の家庭のお客もやってくる。

「(お店と普通の家庭の割合は)三対七ぐらいだね。お客さんやっぱり七ぐらいになりますね。
 

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個人店の八百屋に関する時系列のデータはないが、感覚的に年々減っていっているよう感じる。全国の八百屋数2018年によると、東京の八百屋の数は1911軒。十万人あたり何軒かに換算すると、14.27軒で全国四十七都道府県中三十三位である。ちなみに一位は高知県で、十万人当たりの八百屋数は30.49軒(高知県の八百屋件数225軒)である。そんな現状の中、西荻には八百屋が多いように感じるが…。

「ここは結構多いですよ。業務屋さん(飲食店)が結構多いからね。それに業務屋さんもおいしいものっていうと薄利多売になるので。」

これまで取材してきた西荻の飲食店は、なんとか工夫して原価を抑えつつもおいしい料理を追及している。そこに地元の八百屋が一役買っているのである。

最後に八百屋の将来性についてどう考えているのかをうかがってみた。

「いや、農家次第ですね。作ってくれれば、売らないと。農家さんがどこまで力があるかだよね。」

 

高齢化が進む日本。農家ではその進行がより速い。

農林水産省が毎年出している「食料・農業・農村白書」の令和二年度版では以下のような状況だ。農村人口の減少に加え高齢化も進むと予測されている。(令和二年度版 「食料・農業・農村白書」 農林水産省 より)高齢になると、こなせる仕事量も減り、作れる野菜もより減ることになるだろう。

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日本の農家が先細りしていけば、輸入・水耕栽培(すいこうさいばい)に頼るしかないんじゃないかと小高さんは言う。

「水耕栽培で作ると、味がもう全然だめだから。やっぱり水耕ものは陽もあたらない、当ててないしね。だからもう、こっちの味、露地もんの味知ってたらおいしくないっていうか、そうだね、ほんとにおいしくないんです(苦笑)。そうですよ。今のまんまがどこまで続いてくれるかですよ。」

 

小高さんは、今日も店頭に立ち、自慢の野菜たちをおいしく食べる方法を紹介しながらお客達と対話する。昭和の時代、商店街の小売店ではどこででも見られた光景だ。

「今日、お姉さん、鍋でしょう?白菜さっと油で炒めてさ、入れたらおいしいよ。葱も安いし、いろいろ使ったらおいしいよ。しいたけもそこに原木があるから。それでもう一品できるよ。」

 

おいしい野菜をたくさんの人に食べてもらいたい、という真摯な姿勢と、商売として成り立たせるバランス感覚を持つこと。そして、何よりもいい野菜を仕入れる「目利き」であること。小高商店の活気は、小売店として当たり前のことを続けてきた結果である。しかし、「いい野菜」のための環境は年々悪化している。八百屋の未来は日本の農業の不安定な未来と重なっているように見える。(ファーラー・ジェームス、木村史子、2月6日2022)

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参考資料:

■東京都中央卸売市場「杉並区西荻北小高商店」

https://www.shijou.metro.tokyo.lg.jp/specialist/vege-fru/14.html

 

■全国の八百屋数 2018年

https://todo-ran.com/t/kiji/21193

 

■野菜をめぐる情勢 令和3年9月 農林水産省

https://www.maff.go.jp/j/seisan/ryutu/yasai/attach/pdf/index-81.pdf

 

■農林水産省 経営体に関する統計 農家戸数(2020年)

https://www.maff.go.jp/j/tokei/sihyo/data/07.html

 

■農林水産省 令和2年度 食料・農業・農村白書 全文

https://www.maff.go.jp/j/wpaper/w_maff/r2/zenbun.html

 

■「日本の農業を考える」 大野和興著 岩波ジュニア新書466 2009年4月24日第7刷り

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