夜の街の和菓子職人
「和菓子職人」と聞けば頑固そうなおじいさんが黙々とお店の裏で和菓子と向き合っている…。それとも、高級デパ地下の和菓子コーナー…、といった、いかにもなイメージを思い浮かべる。だが西荻には、若い女性の職人がお客の見ているその前で、目にも鮮やかに季節の練切(ねりきり)を作りあげ、それをあてに日本酒を提供してくれる店がある。我々の「和菓子職人」に対するステレオタイプをすがすがしいほどに覆してくれる素敵なバー、それが「をかしや」だ。
店の入り口横にある小さな出窓に、看板娘ならず看板みみずくがじっ止まり木にとまっていれば、営業中のサインだ。 お店に入ると、店主・マスターそして和菓子職人である戸辺真理子さんが出迎えてくれる。カウンターに座ると、壁に貼られた沢山の日本酒のメニューと、普通のバーではありえないようなメニューが目に飛び込んでくる。それが「季節の練切」だ。さっそく頼んでみると、丸められた赤、オレンジ、黄色の色鮮やかな練切と餡がカウンターに並べられ、戸辺さんが練切作成の準備にとりかかる。戸辺さんの説明はとてもわかりやすくて、和菓子に関するいろいろなことを教えてくれる。彼女の説明を聞きながら手際のよい見事な手つきを眺めていると、あっという間に秋の練切、「もみじ」と「栗」が完成だ。
戸辺さんは「をかしや」を始めるまで、様々な和菓子にかかわる仕事を経験してきた。
「もともと小学校のころから料理の仕事はしたいと思ってたんですよ。で、小学校のときに、もう入る高校決めてて。」
子どものときの決心は揺るがず、調理師免許のとれる高校へと進学した。
「食物調理科ってのがあって、三年間そこで調理師免許取るために栄養学とか食品衛生学とか。もう調理師免許取るために、高校のときから勉強して。最初は、その、料理人になろうと思ったんですけど、お菓子の方おもしろそうだなって。で、途中まで洋菓子と思ってたんですけど、デパートの実演販売見て、和菓子、面白そうだなって。」
地元で、ある埼玉のデパートで、「黄色いお餅に練切の小さなちょうちょとかお花とかつけてあって、中には苺が入ってて。苺大福みたいなものに練切で飾り付けをしたようなすごいかわいらしいお菓子」の実演販売を見たときに、「あ、和菓子っていいな」「その周りにくっついている練切とかの作り方、全く知らないし。…日本人なのに和菓子のこと知らないな、って興味がわいて。」和菓子の道に入ることにしたそうだ。そして、なんとそのとき実演をしていた和菓子屋「京千花」(現在は閉店)の社長に直接「ここで働きたい」と申し出たのだった。しかし、申し出を受けた社長からは、「一回専門学校に行ってからがいい」とアドバイスを受けた。そのため、まずは専門学校へ行き、学ぶことにしたそうだ。
卒業後は、学生時代からアルバイトをさせてもらっていた「京千花」で働いた。しかし、「京千花」がその後閉店してしまう。
「半年フリーターやって。朝も夜も働いて。お金ためて。で東京で一人暮らし初めて。」
東京でモダンな和菓子屋で一年ほど販売の仕事をし、その後、製菓学科のある短期大学で教授の助手を六年間していたそうだ。どんな伝手があり、短大で働くことになったのだろうか。
「その、専門学校に『戸辺さん、京千花辞めた』って情報がいってるから。で、次の職についたって言ってなかったから、その、『大学で助手の仕事あるけど、どう?』って言われて。で、わりとそのときの販売の仕事に飽きてたんで。で『あ、いい仕事だな』って思ったんで。で、面接受けたらその助手の仕事、受かって。それで始めて。」
短大の助手の契約が切れた後は、知り合いの製菓の作成、販売を手伝ったそうだ。当時の仕事も落ち着いてきたある日「どうしよう」、と思っていたころ、たまたま歩いていたときに、現在「をかしや」が入っている空き物件を見つけた。
「自分でお店とかやったら楽しそうだなって。日本酒とか、けっこう仕事終わりとか、その、大学の助手のときに飲んでいたので。だから、飲み屋さんいいなって。飲み屋さんやりながら和菓子作ろうって。」
と、「思いつき」で「をかしや」を開くすることにしたそうだ。どのぐらいの「思いつき」かというと、
「『店もつのが夢だったんでしょう?』なんて、目を輝かせながら言われても…そういうわけじゃないんですよ。ほんと。すいません、思いつきなんです。って。」
と、笑いながら言い切るような思いつきである。
四十年やっていた元スナックの物件は、少々改修・改装が必要であった。戸辺さんは、仕事帰りに飲んでいた飲み屋で知り合った店の店主や建築家らに相談しながら、入口、棚などに手を加え、現在のような店構えに整えた。特に、若い女性一人でバーをやるということで、「外から中が見えてはいけないつくり」のスナックの内装を、「外から中が見えるつくり」に改装した。
なるほど、女性一人で夜遅くお店を開くというと不安もありそうだが、戸辺さんは、
「いやあ、人通り多いし。わりと飲み歩いてて、いろんな人と知り合いになって、なんか『行くね。』とか言ってくれたりするから。で『やりなよ』、とも言ってくれたし。なんか怖いな、より面白そうだな、って。あんまりマイナスなこと考えなかった。」
と、さほど気にしていないようだ。また、お客が扉を開けたときの「フィーリング」で、断るべきお客かどうかも見分けられるようになったとのこと。女性一人での切り盛りだが、安全ではあるようだ。
戸辺さんは、大学の助手時代、西荻のカレー屋「オーケストラ」のデザート担当が病気の間、デザート用にお菓子を提供していたことがあるそうだ。それほど西荻の他の店の人たちとは仲がいい。西荻に店を出している人々は信頼し合い、支えあっているという印象を受けた。だからこそ戸辺さんも安心して女性一人でバーの経営をできるのではないだろうか。
冒頭で述べたように和菓子というと厳格なイメージがあるが、戸辺さんは、最近の和菓子業界事情をこう話してくれた。
「けっこうゆるくなってきたというか。和菓子の個人で作家やってる人って、その、一応勉強しててもそんなぎちぎちにやってないというか。けっこういるんです、最近は。だから最近、そんな『修行しないとだめ』、ってのはないと思います。」
「今って、情報、すごく発信しやすいし、その、教室やろうとして情報発信したら、すぐ興味のある人が集まるし。自分でなにかやりたければできる時代になったので。昔はやっぱり、大きなお店について、その親ッさんが『こいつが独り立ちするからよろしく』って周りに言ってって感じだったと思うんですけど。」
インターネットやSNSが普及した今、日本伝統の和菓子の世界も時代とともに変わってきているようだ。戸辺さんも話していたが、「インスタグラムであげて、それでフォロワー一万とかいれば、それで広告になっちゃう。」今はもうそんな時代だ。こんなことを言うと、伝統やしきたりなどに厳しく、昔気質の和菓子屋の親ッさんたちは怒るかもしれない。だが、これは日本伝統の和菓子作りと、現代の技術が融合した新しい和菓子界の形なのではないだろうか。戸辺さんも、「時代とともに和菓子の世界が変わってきているのでしょうか?」という問いに、「そうかもしれない」とこたえていた。
とはいえ、戸辺さんは日本伝統の練切をもっとたくさんの人に知ってもらいたいと考えている。普通の和菓子屋なら、作った和菓子を棚に並べるだけだが、戸辺さんは作る工程を見せてくれる。この珍しいパフォーマンスにはあまりお目にかかることはできない。
「練切を作ってて、毎回喜んでもらえるのは嬉しい…練切見て、『見たことない』って喜んで。で、人連れてきてくれたり。」
目の前で美しい和菓子が出来上がっていくことで、お客は感動し、そして練切に対する興味も倍増しているように思える。店を持ってから思い付きで始めたことだが、やってて良かったと思うそうだ。
また戸辺さんはお客からのリクエストに応え、練切教室(教室の様子はこちら)も開催している。毎週、水・木・金・土曜日、12時~と15時からの二部開催。完全予約制で、予約が二人以上入れば開催される。内容は季節の練切二種類を各三個ずつ作り、体験終了後に一個はお茶と一緒にいただき、残りの五個は持って帰れるというものだ。
参加者はパティシエ、パン職人、会社員と様々だ。作る練切は、「もみじ」「栗」「スノーマン」「ポインセチア」「犬」「寒椿」…などなど、伝統的なデザインに加えポップなデザインもある。参加者は事前に用意された道具と材料を使い、戸辺さんのお手本と指導を参考にしながら作っていく。とても難しそうだが、戸辺さんが、要所ようしょで的確に解説を入れてくれる。場合によっては彼女自身が手を添えて感覚がわかるように手伝ってくれる。大学で助手をしていた経験からだろう。話がうまく、おもしろく、和やかな雰囲気でありながら、わかりやすく指導していく。「葉の薄さと繊細さが出るように少しめくるようにするといい」、「葉の周囲は薄くした方が葉っぱらしさが出る」など、職人ならではの繊細な指導も入る。 全部作り終えたら食べるものを一つ選び、戸辺さんが淹れてくれたお茶でいただく。飲み屋らしく、お茶は徳利に入れられて出され、それをお猪口でいただく。おしゃべりをしながら練切とお茶を楽しんで終了。一緒に作って食べるため、参加者同士が自然と打ち解け合える教室である。
バー「をかしや」は伝統な和菓子屋のイメージとは違うかもしれない。しかし、実は戸辺さんは、「伝統的な和菓子職人の道」を歩いきた人である。 弟子から マスターになり、何年間も料理の学校で働いた。しかし、今、戸辺さんは、閉ざされた職人の世界からもっとオープンに、和食文化に積極的に参加している。店で多くの人にモダンな和菓子の作り方の手ほどきをし、そして、新しい和食と酒の文化を西荻で創造している 。 (高瀬碧海、木村史子、ファーラー.ジェームス、2月19’日2018年)