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西荻の「トランスナショナル」レストラン

21世紀、日本のイタリア料理は過去のナポリタンドリアのような和風イタリアンから大きく変化した。特に現在の東京においては、本格的な地域料理から高級創作イタリアンまでと幅広い展開を遂げている。 日本のイタリア料理シェフのキャリアを研究する大正大学の社会学者、澤口啓一氏によると、日本のイタメシブームの基盤となったのは、1980年代からイタリアの料理養成学校(一部は日本語で教えられている)がつくったトランスナショナルな(国境を越えた)人材パイプラインだ。現地イタリアの料理学校では、若い日本人シェフに料理人としての経験を与えつつ多くの現地レストランに安価な日本人労働力を提供していた。 これらの若いシェフのほとんどは日本に戻り、イタリア料理の伝統的な作り方や新しいアイデアを持ち込んだ。 そして、イタリアと日本の特定の場所と密接な関係を作る「トランスナショナルレストラン」を作り出した。 その一つが西窪の「29-トラットリア‐」だ。西荻のお客たちにトスカーナの濃厚な肉の味を提供する。

 

「29-トラットリア‐」は肉料理がメインの店だ。路面はガラス張りで、店内は白い壁のシンプルな内装のモダンな店構え。ローマ帝王像といった「昔のイタリアンレストラン」のような装飾品はない。あるのは店主でシェフの竹内悠介(たけうち ゆうすけ)さんがイタリア時代に働いていたお店の写真だけだ。小さなレストランだが、予約をして遠方からやってくるお客がいるほどの人気店である。竹内さんの他、奥さまの荒瀬舞(あらせ まい 仕事は旧姓のまま)と友人の横内美恵(よこうち みえ)さんの二人が働いている。横内さんはサンドイッチ担当で、お昼と夜忙しい週末、金土日曜日は夜も手伝いに入る。横内さんは朝七時半からなので、基本四時半まで。竹内さんは昼の営業と夜の仕込み。荒瀬さんは夕方から夜の担当といった具合に三人で店を切り盛りしている。

 

竹内さんは東京都の世田谷で生まれ、ご両親が宿を始めるために群馬県の川場村に引っ越し、そこで幼少期を過ごした。再び東京に出てきたのは高校を卒業してからである。

「最初コンピューター系の専門学校に行ったんです。何でそこ行ったかって言う、うちにお金がなかったんです。自分で行けって言われて。新聞奨学生ってあの、学費出してくれるし、おこづかいもくれるしっていう。あれを最初やることに決まってて。調理師学校行こうと思ってたんです、最初。でも調理師学校忙しくて夕方夕刊配れないんで適応されていませんって言われて。そのときパソコン、ぼくが高校卒業したのって98年とかだったんで、ちょうどパソコンとかで出たりしていて、うちにパソコン来たりして、インターネットおやじが始めたりしていて、なんかおもしろそうだなって、とりあえずパソコンの学校行ったんです。新聞配りながら二年間行って、就職活動始めたんですけど、なんかこう、ちょっと違うなーっていう気がしてきて…。」

そして、竹内さんは銀座ライオンの学生社員制度を調べあてる。

「いろいろ調べたら、銀座ライオンっていうビアホール、あそこの学生社員制度みたいなのがあって、それを使って、ま、新聞奨学生ほど学費は出してくれないんですけど、少しお金を出してくれて。それからお金を貯め初めて。ライオンに行って、池袋の調理師学校に通ったりしたんです。」

この銀座ライオンで働いたのが、イタリアンへ進むきっかけとなる。

「そのときのライオンの先輩で広尾のイタリアン、行かれた方がいたんですけど、その話をうかがったら、今人を募集してるっていうので。料理全般が好きでイタリアンに絞ったつもりはなかったんですけど、たまたまお話しいただいて、おもしろそうだなって、そのまま広尾のレストランに行き…。広尾のレストランがアッピアってお店だったんですけど、もともと六本木のキャンティっていう老舗、あそこの支配人やられてた方が独立して開けた店で、内容はほんとキャンティと一緒で、ワゴンでこうゴロゴロゴロってきて、ギャルソンがいて、昭和のスタイルというか。イタリアンと言ってもカレーもあるし、高級店ではあるんですけど、和製イタリアンっていうか。でそれをやっていたんですけど、それを三年くらいやっているときに、キャンティでもともと働いててイタリアに行って日本に帰って、ぼくが働いていたアッピアに就職した先輩が来たんですよ。」

この先輩との出会いが竹内さんの料理人としての大きな転機となる。

「その人を、イタリアを挟んで帰ってきた人だったんで、料理を見たら全然違って。アッピアはアッピアでおいしいんですけど、その人の料理が全然違うものだったから。イタリアって何なんだろうなって思って、イタリア料理やってるんだけどイタリアのこと知らないこといっぱいあるなって思って、そこからイタリアに行こうって。お金を貯めてイタリアに行って。」

いずれは自分の店を持ちたいという思いはあった竹内さんだが、持っていた店のイメージはその頃の日本によくあったイタリアンレストランだった。

「お肉は好きだったんですけど、何かに特化してとかは…。いつかはお店を開きたいと思っていましたけど、普通のお店で、カルパッチョがあって、メインはアクアパッツアのお魚はあるけどお肉もあるようなお店をいつか開けるんだろうなと思っていたんです。」

 

そして、竹内さんは本場イタリアへと渡る。なんのつてもなく、イタリア語もゼロだった。

「最初半年だけ語学学校の契約して行ったんですけど、語学学校に行きながら夜はレストランのバイトをしていました。そうですね。学生ビザです。仕事のビザはなかなか取れないので。イタリアは厳しいみたいですね。フランスとかはワーキングホリデーとかありますけどイタリアはないですし。で、ぼくが一番最初にフィレンツェに行ったときにたまたま日本人のシェフがいるところに仕事を見つけて、なんか、あの、弟子というか助っ人というか、今補助する人を探してるんだよっていう求人を見つけて。」

そのときのフィレンツェのレストランで出会ったシェフが古澤一記さん。今や日本では有名な人物だ。

「鎌倉であの、オルトレヴィーノ さんという店をやっていて、すごく面白い店で奥さまがイタリアのアンティーク商をやって、お店でアンティークを売りながら旦那様が料理を作るという。鎌倉にあるのはワインショップと総菜屋さんとアンティークショップとイタリア料理と全部やってます。」

 

イタリアのレストランで働きはじめた竹内さん。日本にいたときは「こんなものだろう」と思っていたイタリアンレストランの印象ががらりと変わった。

「イタリアに行ったら、意外とすみ分けされてて、海沿いのレストランは魚介を出すし、一歩内陸に入ったらトラディッショナルなお店はお肉しかださないとか。もちろんミラノとかローマとかに行けば、フィレンツェもそうですけど、両方出すっていうところもあるんですけど、その、わりと昔からの考えでは、魚食べるなら海沿いに行って、肉食うなら内陸に行ってっていう彼らの考えっていうのがもともとにあるっていうのがカルチャーショックで。そのころ肉ブームっていうのも日本ではあんまりまだなくって、いつか店開けるんだったら肉に特化した店をやってもいいのかなーと、イタリアに行って思ったんです。」

 

そんな思いが膨らんできたとき、ある肉屋の主人との出会が竹内さんを本格的に肉料理に目覚めさせた。

「最初のお店で働いていたときに使っていたお肉が、あるお肉屋さんのお肉を使っていたんですよ。そこのシェフに、キャンティの方にすごい破天荒な変わったお肉屋さんがあるっていうので教えてもらって行ってみたら、ほんっとにもう、そこもまたカルチャーショックで。お肉屋さんは八代目の彼がやっているんですけど、もう四百年くらい続く肉屋で。彼が一念発起してというか、いろいろ変えて。普通のお肉屋さんもあるんですけど、お惣菜を出したり、お肉のレストランをやったりっていうのをいろいろやってて、その空間がすごくおもしろくて。」

その肉屋は、フィレンツェより南にもう少し下がった、ワインで有名なキャンティというフィレンツェとシエナの間くらいにある。主人の名はダリオ・チェッキーニ。彼との出会いが大きな転機となる。ダリオについてはネットフリックスの「シェフ・ザ・テーブル」で詳しく紹介されている。

「お肉屋さんもすぐには働けなかったんで、その間にフィレンツェからボローニャ行ってボローニャのパスタ学んだりボロネーゼやったり、いろいろして。イタリアには三年いたんですけど、最期はもう行くたんびに履歴書を…、イタリア人ってノンアポで行って履歴書を置いて、働かしてくれ、って結構あるんです、飲食店は。で、それを見てたんで、ぼくも名刺の裏に自分のちっちゃい履歴書を書いて、仕事あったらいつでも働きますんで、っていつも渡してたんです。そしたら最後の一年、今ならいいよって言われて、三年いたうちの最後の一年をそのお肉屋さんで働かせていただけたんです。」

 

肉屋なので料理だけではなく肉の解体からすべてを行った。

「朝は肉の解体をして、こう百キロぐらいある肉を。昼はお店があるんで昼からお店に入って昼のお手伝いをして。夜はまた夜のレストランの手伝いをしてっていうのを一年くらいずーっとやってました。」

「やっぱりお肉って、イタリアに行くと今でもそうですけど、タルタル…日本では牛のタルタルは今でも食べられないですけど、あの、生から熟成、さらには生ハムまで考えると、すごいその、一年くらい熟成させて食べる生ハムもあれば、殺してすぐ食べるタルタルまであるって考えると、すごいこう奥行きが、どこをどうとるかによってすごい奥行きがあるなっていうのはイタリアで感じて、もっとこう、そういうおもしろい肉屋があってもいいかなぁって思って。チェッキーニの店では牛と豚と。変わってて、牛と豚、それ以外は扱わないお店で、鳥とかウサギとかも置かないお店だったんです。でも、その、牛なら牛で、足から内臓から全部使い切ってあげようってやってるお店で。」

竹内さんは肉を捌き、その捌いた肉全部位を使った料理を作らせてもらい、肉料理シェフとしての腕を磨いた。

 

ところで、現在、共に29を賄っている二人、奥様の荒瀬舞さん、友人の横内美恵さんとの出会いもイタリアだった。

「最初に働いた日本人のシェフがいるお店、半年でビザが切れたんで一回日本に帰らないといけない。そのときに、彼女-横内美恵 さん-がぼくの後釜で働き始めた。で、その時ぼくと彼女、知り合ったんですけど、彼女のルームメートがぼくの奥さん。あの、留学するとルームシェアしますよね。ルームシェアしてて、ぼく、ビザとりに半年くらい日本に帰ってたんですけど、その後イタリアフィレンツェに行ったときに知り合いがもう彼女くらいしかいなくて。みんなもう日本に帰っちゃってて。ごはん食べに行こうとなって、もう一人別の知り合いがいるから三人で食べて行こうと。その日に日本から来たルームシェアした日本人がたまたまいたから誘ったって。で、来た女の子がうちのかみさんで。別にただ紹介してもらおうと思ったわけではなくて、たまたまそこに来て。彼女を介して知り合ったというか。」

奥様の荒瀬舞さんは西荻窪出身だ。

「うちの奥さんはジェリーのデザインの仕事をしてるんですけど、もともとフィレンツェでもジェリーデザインの学校に行くために語学学校に行ってて、そん時にイタリアに行ったんですけど、知り合って。」

2006年だった。その後、彼の学生ビザが切れ、2009年に日本に戻る。

「それも不思議なご縁で、ぼくが働いた店で彼女がイタリアで働いたりっていうのが他の店でもあって。たまたまぼくが先に帰ってて、そのときは青森のオステリア・エノテカ・ダ・サスィーノ 。イタリアンでは地方でやっているお店ではけっこう有名で、情熱大陸とか出たシェフがいるお店で、生ハムもチーズもワインも全部自分で作って、野菜も自分の畑で作って九割がた自分で蒸留以外はまかなうっていうことをやっている変わったシェフがいて、彼女が先にそのお店で働いてたんですよ。(ぼくが)日本へ帰る前に。ちょうど辞めるって言ってて、で、その後にぼくすぐ働かしてもらえませんかって。」

帰国してすぐ自分の店を出さなかったのは、まず自分がイメージする店に近いレストランで働いてみたかったからだそうだ。

「店自体は二十席くらいの小さなお店なんですけど、その、もともとぼくが働いていたアッピアってお店は八十席くらいある大きなお店だったんです。で、小さいお店を開けるつもりだったんで、そういうお店でも働いたことなかったし、地方、最初店を開けたいっていうとき、自分の群馬と、うちの奥さんがいる東京のどっちだろうか迷ってて、東京で開けるか地方で開けるか。でも麻布とか銀座とかでは開けるつもりはなかったんですよ。西荻か群馬かっていうところで。ま、小さいお店では働いたこと日本ではなかったので働いてみたかったことと、地方っていうのもすごく共通点があったのでぜひっていうのがあって連絡したら、一年間限定で。ぼくは2010年丸々青森で、イタリアンの店にいて。笹森っていう名字のシェフなんです。で、サスィーノってよく言われていて、それが店の名前になってんです。」

 

イタリアでは、本場のイタリアンレストランで本場イタリアンと異色の肉屋の下で肉と肉料理を学び、日本に戻ってからは、イタリア帰りのシェフが経営する高いクオリティのイタリアンレストランで料理とレストラン経営の修行をした竹内さん。いよいよ自分の店を開店する。まずは場所選びだ。

「そのときはまだ迷っていて、とりあえず西荻に物件探してみようかって。青森に半年ぐらい働いたときに月一くらい帰ってかみさんと一緒にいろいろ回ってたら、ここが二軒目に見つかったんです。すごく場所もよかったし規模もちょうどよかったし、スケルトンで何にもなくて自由に使えるっていう…。そしたら、そのままとんとん拍子でここで開ける話が進んで。」

 

そして、2011年の二月九日に29がオープンした。オープン当初からメディアでも取り上げられ、集客につながった。

「かみさんといつも、今までにないような変わったお店をやろうと話しながら、ここの建築屋さんなんかとも話しながらやって、そういう意味で、わりと開けたときから雑誌の取材とかも受けて。うちから何かしたわけではないんですけど、わりとすぐ来てくれて、で、気に入ってくれて表紙にしてくれたりして、そういうのがあって、けっこうメディア的な反応はすごくよかったです。」

 

もちろん、おいしい料理であるから客足が途絶えない。料理についてうかがった。

「肉に特化したイタリアンで。うん。こう、オーセンティックなトラディッショナルなイタリア料理屋みたいなのを目指そうとは思っていなくて、メニューとしては最初の頃はトスカーナの料理とかはやってたんですけど。」

店のメイン料理である肉料理へのこだわりは当初からあったが、メニューは少しずつ変化していった。

「でも、その割合が減ってきている…。個性がでてきてる?そうですね。兎のフリットは伝統的なトスカーナ料理。そう、よく言われるんですけど、ジビエですか?って言われるんですけど、この兎のフリットに関しては両方いるんです。あの、ジビエの兎、野生の自然にいる兎と、飼い兎。…野兎と飼い兎は全然違って、野兎は鹿みたいな赤い、真っ赤な赤肉なんですけど、飼い兎は鶏肉みたいな白い。で、だからこう、もっとこう地鶏っぽいっていうか、もう少しこう、普通のブロイラーよりは硬さ、というかプリッとしたところがあって。今使っているのは飼い兎です。白いの。でも、イタリアとか行くと、飼い兎は飼い兎の料理がいろいろあって、ジビエはジビエでまた全然違う料理が。肉質も全然違うし香りも全然違うし、どっちもおいしいんですけど、別物っていう感じなんですよ。」

竹内さんが肉について語り始めるとその知識の深さに圧倒される。

29で有名なのは牛肉。トスカーナ風で料理は作っているが、肉はどう選ぶのかをうかがった。

「トスカーナのティーボーンステーキってあるじゃないですか。ヒレとロースがついてる。ご用意はあるんです。予約ですけど、三日前から予約していただければ一キロからなんですけど、ティーボーンステーキもやってますし。一キロ以下になっちゃうとお肉を塊で焼く醍醐味みたいなものがなくなっちゃうので。そうですね、炭でここで焼くんですけど、大きければ大きいほどここに置いとけるじゃないですか。その方が香りもつくし、周りもしっかり焼き込めるんで。小さいとちゃちゃっと焼けるんで、炭の意味もあんまりないんで。ま、四人くらいで食べていただくんでしたら一キロでも。ま、骨もついてますし。ティーボーンだったら三日前に予約が必要です。」

「イタリア風に作りたいときの肉質は、あの、なんか、こう、赤身のイタリアっぽいに肉だと下の二つが(メニューを見ながら)赤身のお肉で、ま、もちろんそれだけをメニューに載せてもよかったんですけど、日本人として、少し脂が入ったお肉もおいしいとは思ってるんです。ま、量はそれほど食べられないですけど。なんで、種類がいっぱいあってもいいかなぁと思って、これはわりと脂が入った日本風の霜降りスタイルというか。とはいえ、ランプってそのあまり脂が入りづらい部位、柔らかいんですけど。なんで、うちの中では一番うっすらですけどさしは入ってるんですけど、さしさしの真っ白い感じじゃなくって赤身の中でもうっすら脂が入ってるんで。オーストラリアのアンガス牛。飼育が牧草、グラスフェッドで、しっかり牧草食べてるんで、しっかり真っ赤。牧草だけなんで、香りもこう、ワイルドな香りがするというか。こう、オージーらしいというか。逆に短角牛もきれいな、というか、淡白な。うまみはしっかりあるんですけど、きれいな感じ。トスカーナに一番近いのは…まあ、そうっすねー、こっちがこっちなんですけど。」

イタリアの牛は使っているのだろうか。

「まあ、逆にイタリアの牛ってほとんど入ってこないんで。あの、もともとは輸入できなかったんです。去年あたりから少しずつ入ってくるようになったんですけど、イタリアの牛って、こう、まだ大量に入ってくるわけじゃなくて、ブランド牛だけ入ってくる。トスカーナのキアニーナっていう牛がいて、あの、目が飛び出るくらい高い(笑)。なんか、例えば一キロティーボーンステーキでここでやるときに、五万円くらいとらないと…。それでもよければ…。かといって向こうで食べたら五万円するわけではない。じゃあ、五万円する味がするのかというと、それはちょっと話が違う感じがして使ってないんですけど。イタリアも別の安くておいしいお肉がいっぱいあるので。これからちょこちょこ入ってくるんじゃないかなってところで。ティーボーンは今はアメリカのものしか入ってこないです。赤身です。」

だそうだ。

 

うかがえばうかがうほど、竹内さんが吟味して選び、料理した肉が食べたくなってくる。

夜はがっつり重い肉。昼はカジュアルにサンドイッチを出す。ランチタイムについてうかがった。

「ランチはなんだかんだで今年で四年経つんです。あの、彼女(横内さん)はもともと別なところで働いていて、ちょうどうちが四年目のとき、前職を辞めるっていう話を聞いたんで、じゃあ、うちでなんか面白いことやろうって。じゃあ、そのまま夜の29のランチをやっても面白くないから、サンドイッチをやろうって三人で話し合って。」

この日もランチには三十人ほど来客があったそうだ。なかなかの繁盛具合だ。

 

お客についてうかがった。

「最初の頃は遠くから来るお客さんもいましたけど、今は八割がたこの辺の。西荻とかこの辺の。八割とか七割とか。土日になると遠くから来るお客さんもいますけど平日は七、八割。」

「常連さん…そうですね、普通に初めてきましたというお客さんもいますし。ちょっとハレの日っていう感覚がありますよね。」

西荻にあるちょっと敷居が高そうな有名店から、地元の人に愛されるちょっとハレの日のレストランへと変化していっているようだ。

 

29のメンバーは毎年イタリアへ行く。

「毎年行けるように頑張ってます。でも、イタリアで食べる店は決まっている…。よくうちのかみさんが言うのは、イタリアに舌の調律をしに行くって。かっこつけて言ってますけど(笑)。本当に食べに行く。イタリアとプラス、今回だったらパリに。スペインに行ったりとかしてちょっとイタリアじゃない文化に触れながらとか。あと、イタリアに行ってたって言っても全都市に行ったわけではないので、行ったことがない都市と、いつもお世話になったフィレンツェと両方行ったりするとかが多いです。」

「イタリアに行く目的ですか?もちろんリフレッシュしたいですし、半分バカンスみたいなところもあるんですけど、でも、やっぱり新しいアイデアだったり何かを見てきたいという思いで絶対に年に一回は行こうと思ってますし。イタリア語も忘れちゃいますし。」

 

最後に、店の今後についてうかがった。

「うーん、今現在は特に考えていないですね。そーうですね、自分が見れる範囲ではやりたいっていうのがあって、派手なことは考えていないですし。」

ビジネスの拡大よりも、自分が思い描く肉イタリアンに強くこだわりを持っているようだ。

 

竹内さんと荒瀬さんと横内さん。イタリアで深くつながり、そして今もイタリアンへのあくなき探求心を失わない。彼らが作り出したトスカーナ風肉イタリアンレストランは、西荻という不思議な食の町と融合し、一流であるが敷居が高くない店へと発展した「トランスナショナルなイタリアンレストラン」なのだ。(ファーラー・ジェームス、木村史子、2019年12月24日)