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カフェは想像力の作品である

西荻窪駅の南口を出て、神明通りを七~八分ほど進んだところに去年開店したカフェsing(シング)は、最近注目を集めているオーガニックやヴィーガン、マクロビオテック等の食品を扱う、健康志向の店の一つだ。店内は禁煙で、アート作品を展示するスペースがあり、店の近隣で働く若い女性や、子育て中の女性が好みそうな雰囲気だ。西荻窪には魅力的な個人経営のお店が多いため、新しく店を出す店主は独自の雰囲気づくりをしなければならない。そんな中、singも確固たる独自の立ち位置を模索している。

 

「自分がカフェに行って、美味しい食べ物とお菓子を食べてのんびりする時間がすごく好きで。」

店主の安楽(あんらく)さんは、お客がそれぞれの特別な時間を過ごせる店を目指し、昨年の5月、singを前の店主から引き継いだ。カウンター席と小さなテーブル席もあり、一人でも入りやすい。読書や勉強もしやすい落ち着いた雰囲気だ。店内には近所に住むアーティストが作った作品が展示され、週末には音楽ライブが開かれたりもする。

 

安楽さんは鹿児島県出身だ。元々は洋菓子職人を志していた。

「お菓子を母と一緒に作る機会があって。そういうのもあってお菓子を作る仕事に就きたいと思っていて、大阪の専門学校に行って。そのあと姉が東京に行ったので。一緒に住んで、東京のケーキ屋で働き始めました。」

 

西荻で働き始めたきっかけはsingの前身である「trim(トリム)」だった。trimはオーガニックな食材の使用にこだわったカフェだ。現在も西荻窪の南商店街で営業中の卵や乳製品を使わない焼き菓子店「khanam(カナム)」の店主が営業していた。trimの『マクロビオテック』料理哲学は、安楽さんにとって新しいチャレンジだったそうだ。

「食べ物について勉強した時に、『マクロビオテック』って、卵とか乳製品のような動物性のものを使わない作り方をしたお菓子も美味しいなって。それまでバターをたくさん使った仕事をしていたので、そういうものも勉強して取り入れたりしながらやっている時にtrimと出会ったんです。trimがスタッフを募集していたので入って、三年働きました。」

 

そして、カナムの店主は突然trimの閉店を決める。安楽さんはそれを機にと、trimの内装やオーガニック食材へのこだわりは残しつつ、singという新しいカフェをスタートさせた。

「全部借りられてお店ができるのは、すごくラッキーだったと思います。」

trimで働いていた頃から新しいメニューの考案もし、カフェを支えていた安楽さんは、trimのよさを生かしつつ、彼女自身のお店作りを始めた。

 

「その、お店を閉めるって決めたときも、trimのまま続けることもできたんですけど、trimって名前でやるよりは、もうちょっと自由にやりたくて。」

trimはkhanamと同様、全て植物性の材料を、それもオーナーが体にやさしいと思った食品のみを使用していた。しかし、安楽さんは以前ウェディングケーキを作る仕事に携わっていたこともあり、動物性食品(バターなど)も用いたデコラティブお菓子も提供したいと考えた。

 

安楽さんは、もっと気軽に足を運んでもらえるようにしたいと話す。

「trimのときは卵と乳製品を使わない、すごく縛りがあったので。わりと…限られた人しか来ないようなところもありました。」

「豆乳にアレルギーがある人が入ってきたときに、知らないでお菓子を食べてアレルギーが出ちゃったとかもあったので。あとはミルクをつけて欲しいとか。『飲み物にミルクないの?じゃあいいや』とかもあったので。」

「ちょっとゆるくして。今までのお菓子もあるけれど、乳製品を使ったお菓子を作るのも食べるのも好きなので、まぁ両方あったらいいかなと思って。今は両方あるお店をやっています。」

メニューに変更を加えることで客層が広がり、使用する食材のコストも調整しやすくなったそうだ。

 

現在のメニューは、小麦粉や豆乳、油やお砂糖等はtrim時代と同じものを使用しつつ、新しいものも取り入れている。trimと同じ植物性の材料だけを使用したもの、乳製品も含まれたものを半分ずつ提供しているそうだ。私たちが訪れた前日から、玄米のサラダプレートが始まっていた。

「…こういう感じで、(サラダセットは)マフィンかキッシュか選べるんです。昨日はサーモンとクリームチーズのケークサレを作りました。お食事系のパウンドケーキも出していて、それはちょっと完売しちゃったんですけど。」

安楽さんはケークサレの作り方を説明してくれた。

「パウンドケーキみたいになっています。小麦粉とチーズが入った生地に卵となたねオイル、あとクリームチーズとサーモンとお野菜を入れました。」

安楽さんは専門学校での知識や、飲食店で勤務した経験を活かしメニュー作りをしている。

 

singには、ご近所からだけではなく西荻窪の外からもお客がやって来る。はす向かいにあるクリニックに来る家族連れがsingに立ち寄ることも多い。外国人もヴィーガン向けの食事目当てで訪れるため、安楽さんは英語メニューも用意した。

 

安楽さんによると、カフェの仕事のメリットは、パティスリーと比べてお客と直に交流する時間を持てるということだそうだ。

「trimは特にお客さんとの距離が近いので。それでもう『楽しい』って思うようになりました。できたらそういうカフェとかの方で働きたいなと感じました。自分の店でなくても、今後もずっと続けていく仕事だなって思っています。」

 

安楽さんは、イラストレーターの和田誠さんが書いたエッセイ「いつか聴いた歌」をきっかけにカフェの名前である「sing」を思いついたそうだ。「いつか聴いた歌」は、著者が1970年代のアメリカのスタンダード・ナンバーを取り上げつつ当時の思い出を振り返るといった内容で、”Sing”という曲についても思い出がつづられている。

「(この本を)喫茶店で見つけて、読んで気に入ったから古本屋で探して、買ったんですけどね。…元々”Sing”って曲が好きだったんです。」

 

音楽ライブやアーティストの作品展示は、trimのときから行われていた。それは、お客達との会話のきっかけにもなっていたそうだ。

「色々なものを作っている方とも出会って。本当に良かったと思いますね。…毎回ちょっと違ったものがあったり。アーティストが来てくれたりすると、お客さんも少し会話できたりして、そういう場所になっていたので。なんかこう、なくなるのはもったいないなと感じました。」

一人でゆっくり落ち着ける雰囲気がある一方、店内に流れるどこか懐かしい音楽やアート作品が、人々の新たな交流を生むのだろう。

 

安楽さんは、お客それぞれが特別な時間を過ごせる店を作りたいと話す。

「ゆっくりしてもらえると嬉しいです。誰も居ないよりは、人がいた方がお客さんも入って来やすいし。駅から距離も離れていますし、そんなに常に満席になる程は混まないので。なんか人がふわっと居てくれる方が、安心します。」

 

多くのレストランに比べると、カフェは店主の個性と想像力の作品である。経営者は自らのこだわりを空間やメニューに表現する。お客も店の個性に惹かれ、ファンとなり、再訪する。一方で、実現したい理想を形にし、それを継続していくことには大きな困難が伴う。安楽さんはカフェsingという作品で、個性を出しつつ、しかしお客に寄り添い、人々が憩い集う魅力的な空間を提供しているようだ。(ファーラー ・ジェームス、河合真由子、木村史子、2020年2月5日)