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シネマのように目でも楽しむ本格フランス料理レストラン

レストランは劇場のように、音楽、文学、芸術など、他のメディアとつながる公演の場として象徴的なメディアである。 レストランは日常生活から逃避行できるスペースであるが、同時に架空の世界と接触できる場所でもある。この関係はレストラン映画「タンポポ」や「レミーのおいしいレストラン」などにもみられるが 、レストラン自体で映画や音楽を再現するといった方法もある。フランス料理レストラン「セルジュ&ジェーン」は、鮮やかにその関係を具現化している。店内の壁にはフランス映画のポスター、フランス語の音楽が流れている。そして、さりげなく、フランス映画スターからもらった貴重な記念の品が置かれている。ここは世界で最も「フレンチ」なレストランの一つであるはずだ。

             

セルジュ&ジェーンは、2015年12月、山形市からやってきた齋藤俊一(さいとう としかつ)さんが構えた店だ。西荻窪駅の南口を出て、中央線の高架沿いにしばらく歩くと見つけることができる。西荻駅の南の、いわゆるビストロ激戦区から少し離れた場所にある。

外からガラス越しに店内がよく見える。 シャルロット・ゲンズブールジェーンバーキンの映画のポスターが壁いっぱいに貼られている。奥の厨房の小窓の上には、CDがずらりと並ぶ。セルジュ・ゲンズブールの CDの完全なコレクションだ。

 

一見、ちょっと異色のフランス料理レストランだ。しかし、出された料理は「フランス料理の基本をきちんと守った、美しくて繊細なおいしさ」の料理であった。

 

山形出身の齋藤さん。西荻に店を出すまでの遍歴を話してくれた。それは、阪神淡路・東日本大震災に遭遇するという劇的な体験も含めながら、現在のようなフランス料理シェフになるまでの半生である。

高校を卒業して、はじめはパティシエの勉強をしたそうだ。しかし、パティシエの勉強が終わった後、京都で就職。それは自衛隊の海外派遣で和食の料理人という仕事だった。アメリカのロサンゼルス、パールハーバー、そしてフィリピンにも、自衛隊の船に乗って行き、料理を作った。 その三年の間に調理師の免許を取った。その後、大阪のケーキ屋に就職した。

 

「で、ケーキ屋さんって見た目はかっこいいんですけど、重労働ですし、まかないは出ないし、朝は早いし、給料も安いしで、どうしようかな…と思っていたときに、フランス料理は目で見て綺麗ですし、前菜などでもきれいだし、デザートもできるので…。そこからフランス料理店に入ったんですよ。フランス料理の場合、ケーキもありますんで。」

 

大阪では十四年働いていたそうだ。

「大阪の次に神戸、明石。明石のときに大震災にあたったんです(阪神淡路大震災 1995年1月17日)。はじめて料理長になって、その次の日に震災で、『オイオイオイ』って感じで…。そっからちょこっとやって…。山形のいとこが店をやっているから、それを手伝わないかっていうことで山形市に戻ったんです。わたしは山形でも鶴岡市ってところで日本海側で山形市まで二時間ぐらいかかるところなんですよ。山形市は全く違うところで、行ったことがなかったんです。そこで三年くらいやったんです。」

 

映画と料理とのかかわりは、ここ山形市のレストランからスタートしたそうだ。

「もともと映画がすごく好きで、山形は『山形国際ドキュメンタリー映画祭』っていうのをやっているくらいで。たまたま、映画館が移転するという話があって、それで映画館の社長に話をして、もし、映画館を移転するのであれば、わたしは隣でフランス料理屋をやって、映画に登場する料理を映画を観た後に食べられるということをやろうと。それをずっとやってたんです。」

 

映画館とフランス料理をコラボレーションさせて、具体的にどんな料理を作っていたのだろうか。

「オープンしたての頃、チャーリーとチョコレート工場の劇中に登場したやつとか。バレンタインなのでここでもやるんですけど。YouTubeに上がったんで…。」

それは、甘いチョコレートのデザートではなく、「映画の場面を再現した」うまみいっぱいの前菜であった。煮込んだ牛肉、緑色の野菜、流行のチョコレートドレッシングを使い、主人公がチョコレートの川を緑の橋で渡るシーンを再現していた。

 

「山形市の映画館の隣に店を出すときに、セルジュ・ゲンズブールの名前使うか、シャルロットの名前使うかで、ま、ゲンズブールは絵面も悪いんで…顔がね(笑)。」

それで、山形市の映画館の隣に出した店の名は、絵面がいい(笑)シャルロットの名前を使い、「ラトリエ・ドゥ・シャルロット」にしたそうだ。

 

齋藤さんが映画がとても好きだということは分かった。しかし、どうしてセルジュ・ゲンズブールの音楽も好きなのかをうかがった。

「やっぱり、音楽がかっこいいんですよ。忙しいときも暇なときも、ちょうどよく溶け込んでくれるんですよ。もう、ゲンズブールが亡くなって二十六年なんですが。こっち来るとき、どうしようかなーと思っていて、ゲンズブールの名前を出したくって。ちょうどそのときに宮城大震災(東日本大震災 2011年3月11日)があって、うち、山形で直撃…。そんなに被害はなかったんですけど、そんなときに、ジェーン・バーキンが日本が好きだということで、すぐにご支援にやって来られたんですよ。渋谷でいろいろやったあとに、宮城を訪れていろいろな施設を回った後の彼女とお会いして、一緒に炊き出しで回ったりしもして。」

震災のとき、ジェーン・バーキンと一緒に炊き出しをしたその関係で、今でも渡仏した際ジェーンのコンサートに行くと、楽屋にも通してくれるそうだ。

 

「それで、そのとき、東京に店を移転するから、名前を『ブラッスリー・ゲンズブール』にしたいと言って、ロゴを書いてもらったんですよ。」

しかし、西荻に店を出すにあたり、店名を覚えやすくした方がいいと思ったそうだ。「ブラッスリー・ゲンズブール」だとなかなか出てこないだろうと、店名を変更することにしたそうだ。

「『セルジュ&ジェーン』という名前は、Moet&Chandonシャンパンのボトルデザインからインスパイアされました。」

セルジュ・ゲンズブールが大好きで、その娘の名前の店を経営し、震災がきっかけで、かつてのセルジュの妻でありシャルロットの母親であるジェーンバーキンと知り合う。そして、セルジュとジェーンの名前を冠したレストランを開く。不思議なめぐりあわせだ。

 

しかし、フランス料理屋であるからには、もちろん料理がメインである。 食材は山形産のものをよく使っているそうだ。

「山形、すごく食材が豊富なんですよ。サクランボやラ・フランスもそうですけど。で、定期的にあちらから送ってもらって。送料はかかるんですけど。ちょっと曲がってる人参でも、ちょっと細工してね。それに、特に魚なんかは東京にはないんですよ。」

 

「今は豚を焼いてますけど、豚は山形の豚でおいしいので焼いてます。あとはテリーヌで閉じ込めて。…ハンバーグとかカットしたら肉汁が…っていうんですが、まあ、あれもいいんですが、フランス料理は素材の中に全部旨味が閉じ込められていて全部食べるんです。」

 

現在、前菜・メイン・デザートまで楽しめる「マルシェランチ」を全面的に押しているそうだ。ランチでリーズナブルだが、本格的で見た目もとても綺麗だ。

「僕のフランス料理は、一言で…食べる前に目で楽しんで、食べて楽しんで、食べた後に楽しかったなーと。まずは、見てバーンときれいだなぁと。」

「常連さんの好みにも合わせています。あ、この人はボリュームがほしいんだろうな、とか、この人は写真に収めたいんだろうな、とか。写真におさめたくなるような写真を撮りたくなるような料理を…と。」

 

齋藤さんは、毎年フランスに行って本当のフランス料理を味わっている。

「日本にもフランス料理のシェフはいるけど、土壌も、食材も違うので。本物のおばちゃんが作るんでもいいんで。あっち、野菜も濃いですから。本物を食べようと。なんとか風をなくそうと…ボルドー風・プロバンス風…のような。」

 

相対的な西荻新人として、斉藤さんは西荻のレストランシーンについていくつか興味深い観察をしていた。一つは、西荻窪の客の特徴。

「肉好きですね。魚は今のところ、それほど需要はないんですが…西荻ってお年寄りも肉が好きなんですよね。なんてったって肉なんですよ。あとは、山形牛食べたいって人もいるんで。煮込んだんじゃなくて、焼いた肉が好きなんですよ。ステーキ。西荻だけじゃなくて荻窪とかこの界隈だと思うんですが。」

そして、西荻には一人客が多い。彼は店はカウンターを取り払ってしまったので、これはちょっと予想外だったようだ。

「西荻は一人が多くて。あと、サービスの人がお客さんと話をしたいとか。だから、ここにカウンターがほしいと言われるけど…。」

 

しかし、最も大きな問題は、西荻人にはフランス料理に対する特別な定義がありそうだということだ。

「フランス料理セルジュ&ジェーンにしたんですが、西荻はフランス料理だと『こけし屋』があるんで。『こけし屋』は、ほんとうにクラッシックで洋食と言った感じなんで…。なので、うちは、『フランス料理』」はやめた方がいいとか言われて。西荻でフランス料理と言えば『こけし屋』の料理と思われている。なので、他はほとんどがビストロなんですよ。かかげているのが。西荻はフランス料理のイメージが特殊なところです。」

 

なるほど。確かに西荻窪の「フランス料理のレストラン」のイメージには特殊ものがありそうだ。

しかし、本格的なフランス料理を、このようなちょっと見特殊な店で、シネマとのコラボレーションという特殊な方法で出すレストランは、東京だけではなく世界を見てもなかなかほかになさそうである。彼は、今もこれからも、映画と料理のコラボレーションをどう展開するかを考えているようだ。どんな映画のどんなシーンがどう料理されてくるのか。料理が運ばれてくるのが楽しみなレストランだ、ということは間違いないだろう。(ファーラー、木村、5月1日2017年)

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