柳小路のバングラデシュ料理屋

柳小路という狭い飲み屋街がある。柳小路を飲み歩かなければ西荻で飲んだことがあると言えないと思う。

 

西荻駅の南口を出て、右に100メートルほど歩いてくと、すぐその小路にぶつかる。実は、小路は二本ある。一本は人気の居酒屋「戎」が半分以上を占めている、東京の他の町の飲み屋街に似た小路。だが、一本裏の柳小路は、ちょっと様子が違う。異国情緒が漂う小路だ。タイ料理韓国料理ウズベキスタンワイン沖繩料理、と国もバラエティーに富んでいる。「ミルチ」というバングラデシュ料理屋もその狭い小路にある。

 

ミルチの店長のバブさんは日本人の妻のヤシャさんと一緒に店を経営している。彼が料理をして、彼女がホール業務を切り盛りする。常連客は多い。私がバブさんと話しているとき、常連客の女性が犬を連れ、奥でくつろいでいた。彼女はインドワインを飲みながらヤシャさんとおしゃべりしていた。彼女に柳小路が好きな理由をたずねると、「頭のいい人」がよくここに飲みに来るからだそうだ。彼女の犬もここのタンドーリーチキンが好きだとのこと。

 

バブさんは1989年にバングラデシュ、ダッカより来日。流暢な日本語でここに至るまでの経緯を話してくれた。学校で日本語を学んだ後、日本料理、タイ料理、イタリア料理などのさまざまな料理店で働いた。西荻には来日したときから住んでいるそうだ。 バブさんが料理店で働いていた最初の頃、インド料理は日本でまあまあの人気料理であった。しかし、バブさん自身はあまり興味がなかったそうだ。だが、その後、興味が沸き、インド料理の勉強をして店を始めたと話してくれた。

 

バブさんが西荻に住み始めたのはちょうど80年代。その頃の柳小路辺りは、今と全く違ったそうだ。バブさんは、怖くて入れなかったと言う。暗い道で、今よりもバーが多く、経営者も若くはなかった。どちらかというと歳がいったサラリーマンがバーのママと会話するところ、といったイメージがあり、外国人が歓迎される場所ではなさそうだったそうだ。

 

この小路が変わり始めたのは、2001年ごろ、タイ料理屋のハンサム食堂ができてから。最初、小さな一角でスタートしたハンサム食堂は、その後、どんどん店舗を拡大した。若い日本人男性が経営するハンサム(Handsome)食堂は、特に女性客に人気があるそうだ。

 

ハンサム食堂の店舗の一つの隣に、ミルチが開店したのは2002年。今年で14年になる。

この小路の店は一つの会社が仕切っているが、その会社は特になにもせず、場所を貸しているだけで、すべてそれぞれの店主が経営をしている。

 

小路の雰囲気が変わり、お客も変わっていった。以前はこの通りの常連は年配の男性だったが、今は若い人が増えた。「料理自体は変えていないけど、とにかく、若い人がバーンと増えた。特にハンサムが大きくなって、雰囲気が変わった。外国っぽくなった。」

 

店の営業時間は、毎日PM6時からAM3時まで。日曜日は定休日。客は、開店時間にはまだあまり来ない。夜も更けて、9~10時ぐらいから増え始めるそうだ。一番混むのは12時~1時。「飲む人が多い。それで、最後はカレー食べて終わりといった感じ。」

 

一人で来る客も多い。「女性一人も多い。二階に行ったりする。お客さん同士で友達になることもある。ここの店で知り合って恋人になった人もいる。外国人のお客さんも増えている。」

 

バブさんの話から、日本のインド料理と料理人たちも変化していることが見えてくる。

「昔はけっこう、バングラデシュ人のインド料理の店が多かったけど、最近はそうでもない。少ない。今はネパール人が多い。インド人は少ない。」

 

「日本のカレーは、14年前とテイストが違う。日本のカレーとインドのカレーは違う。

昔はインド料理といえば、モティとかマハラジャだった。すごく高かった。新宿中村屋は和風カレーだったし。でも、今の日本人はインド風カレーと和風カレーが全然違うと分かっている。」

 

「でも、日本のインドカレーはインドと違う。日本のインドカレーはあまりスパイシーじゃない。わたしもたまにネパール料理を食べに行くけど、スパイスが足りないと思う。うちの人気料理、タンドーリーチキンは三日前からヨーグルトとスパイスに漬けておく。それをオーブンで焼く。」

 

ミルチはタンドーリ用のオーブンがないため、普通のオーブンでチキンを焼く。柳小路の木造長屋の建物にとって、火は危険だからだ。「火は、みんな気を付けている。ここはみんな仲がいい。何かあってもみんな助けてくれるからそれがいい。」

 

バブさんに、客たちの酒の飲み方について聞いてみた。

「普段はみんなはしご飲み。こっちいってあっちいって、ぐるぐると飲んで回る。自分の店が終わってからここに飲みに来る人も多い。」

 

バブさんも休みの日は他の店に行くそうだ。バブさんはお好み焼きが好きで、休みの日は北口にあるお好み焼き屋に行ったりする。そして、そこのマスターも、午前1時に自分の店が終わると、バブさんのミルチに食べに来たりするそうだ。

 

「3時まで飲むのは西荻在住の人が多い。西荻以外で飲んで、帰りは西荻で飲んで食べて帰る。常連が多い。飲み歩く人が多いので、夜中になると酔っ払いが多い。」

 

「でも、飲んでケンカする人は今はいない。昔は酔っ払ってけんかする人がいたけど。そんなお客には、みんな(お店の人が)お酒を出さない。昔はおじさんたちが若い人にいちゃもんつけたりして、けんかになったりもしたけど。でも、昔も今も、暴力バーはこの辺はない。」

 

昔からある店は、ミルチの二件隣のスナック「」。それ以外はママたちが歳をとって辞め、若い人たちが入ってきた。新宿ゴールデン街と同じだ。

 

「この辺ではBABOY HUTというレゲエバーが一番古い。二階にある。もう何十年。みんなそこのママを『おね』と呼んでいる。わたしたちも若いときはよく飲みに行った。そこは遅くまでやっている。」

 

飲み屋を経営する世代や国籍が大きく多様に変化してきた柳小路。飲み屋のスタイルも変わっている。昔からのバーは、外から見えない秘密の部屋的な様子であった。勇気がないと入れない。今の飲み屋は出入り口がオープンになり、椅子とテーブルが店の外にも並べられている。若い人、特に女性客、が増えている。東南アジアの夜の市場の様子に似ている。

しかし、今も昔も西荻は「はしご酒の場」で「日常の飲み屋街」であることに変わりはないようだ。店内にいた常連客が、「飲まなくても、ぐるっとこの辺を回って帰るときもあるよ。」と、まるでぶらぶら散歩して帰るように言っていたのが印象的だった。(ファーラー、木村、10月11日2016)

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