路地の飲屋街のコミュニティに溶け込む

西荻窪の柳小路にある沖縄料理店「赤い鼻」は、今年開店十五周年を迎える。この店のオーナーは七十歳くらいの女性で、四十年ほど前に台湾から日本に移住してきた。店主のうちゃんは三十代後半の女性で、中国江蘇省蘇州市の出身だ。社会学的に見れば、うちゃんの歴史は現地の飲食街というコミュニティにうまく溶け込んだ、ある移民店主の成功物語と言える。

 

‘うちゃん’という愛称は、お客さんと近所の人たちがつけたものだ。日本に来たのは2003年のこと。中国から来る人はたいていそうだが、うちゃんも日本に長く住むことになるとは思っていなかった。愛らしい笑顔を見せながら、彼女はこう話してくれた。

「最初は数年間働いて、お金を貯めたら帰るつもりだったんです。蘇州もいいところだし」。

 

うちゃんは五年ほど前に赤い鼻の店長になった。その前は、沖縄出身の日本人男性が店を切り盛りし、料理長も兼任していた。しかしその人は2012年に癌を患って亡くなった。亡くなってからは、レストランオーナーの甥っ子にあたるうちゃんの恋人が、店主兼料理人になった。亡くなった沖縄の方が店主だった最後の四年間、うちゃんの恋人はこの店で料理人として働いていた。そのときに店のメニューの料理法を身につけていたのだ。そして、この店の経営を引き継いでいくことになった。ところがわずか半年後、個人的な事情で台湾に帰国することになったのだ。このとき、うちゃんはすでにパートのウエイトレスとして働いていたため、店を任せるには適役ということになった。彼女は私と話している間、何度もこう言った。

「私がこの店のマネージャーになれたのは、偶然の成り行きなんですよ」。

 

当初は随分苦労したそうだ。

「最初の頃は日本語も上手じゃなかったし、沖縄料理を出す店だし、まったく自信がありませんでした。自分にとって、とてもハードルが高かったです。沖縄とは縁もゆかりもない。日本人は、料理人が自分の出身地の郷土料理を作ることを重視しています。だから無理だと思って、オーナーさんに自分はどれくらい続けられるかわからないと話しました。」

 

また、柳小路に並ぶ店のほとんどは、同じオーナーが長年やっている飲み屋であり、新入りのうちゃんはその点でも苦労したそうだ。そのことをこう振り返る。

「私が店をやり始めてからしばらくは、不審な目で見られていました。今ではそう思っていたと言えるくらいになりましたが。女だというだけでなく、外国人の女だったからです。日本人じゃないし、ちょっとやってみたらやめていなくなるだろう、深夜までの大変な商売に耐えられないだろう、って。最初の六カ月は、数えるほどしかお客さんが来ませんでした。立ち寄って、趙さん⦅うちゃんの恋人⦆じゃない人がいるとわかると、出ていってしまう。全く無視されていました。」

 

ところが、やがて、彼女はお客さんと近所の人たち、両方の心をつかむ。

「粘りに粘ったんです。お客さんが一人もいなくても、毎晩午前三時まで店を開けて待ちました。お客さんが飲み足りなければ、それよりずっと遅くまで開けていたこともあります。そうやってだんだん受け入れられていき、この三年は繁盛するようになりました。特に一昨年くらいから、人気が上がってきたんです。」

 

最近では、うちゃん目当ての常連客も増えた。

「この店では、誰もが開放的になれて、居心地がいいんです。忙しく働いた一日の終わりに、ここに来てくつろぐことができる。お客さん同士、誰とでも気楽に話ができます。お客さんは私が忙しいことを知っています。パートのこが早く帰って手が回らないときなどは、オリオン生以外のビールは、お客さんが自分で(冷蔵庫から)とってきて私に報告してくれます。どこに何があるか、わかってるんです。中にはお勘定がどこにあるかをわかっていて、自分で記入する人もいます。日本人は、とても良心的です。」

 

うちゃんと常連客の友好的な関係は、店の外にまで広がっている。うちゃんによると、彼女が台湾へ行く際は、日本人のお客を六人連れて行くそうだ。そこにはお客さんといい関係を保つという目的をはるかに超える意味がある。

「お客さんは、とてもいい人たちです。どうして台湾に一緒に行くのかって? 商売のためではありませんよ。仕事とは思っていません。そうじゃなくて、お客さんと本当にいい友達だからです。自分が店のマネージャーで、彼らがお客さんだから一緒にいたいわけではなくて、一緒に出かけてお酒を飲みたいのです。店の外では、純粋に飲み友達なのです。でも店では一線を引いて、お客さんとして接していますよ。」

 

うちゃんはまた、近所の飲み屋とも良好な関係を保っている。そのことについて聞くと、自信を持ってこうこたえた。

「はい、とてもいい関係にあります。お互いに知ってますし。私は以前、近くの刀削麺の店で働いていたので、この店をやり始めた時、みんなすでに私のことを知っていたのです。でも、私のことを見はしても、挨拶はしてくれませんでした。今では挨拶を交わしていますし、私も自分から挨拶するようにしています。私がどんな人かわかってもらえているのです。挨拶は大切です。私の働きぶりを見て、認めてくれているのです。一生懸命働けば、日本人は認めてくれます。店を頻繁に閉めていたら、認めてもらえません。うちの店にお客さんを紹介してもらったり、逆にうちから紹介したりすることもあります。例えば着物を着ていたそこのママさんとは、そういうつきあいがあります。この辺りに越して来たばかりのお客さんは、近くにどんな店があるか聞いてきます。ご近所との関係が良好であれば、その輪から外されることはありません。日本人は特に外国人には厳しいというのは本当です。当初は互いに会釈をするだけで、挨拶はしてもらえませんでした。それでも、自分から挨拶すべきです。今ではそれが習慣になったので、いい関係を保つことができています。」

 

店のフードメニューは、沖縄出身の男性がシェフだった頃から変わっていない。うちゃんはメニューに何の変更も加えなかった。ただ、料理に自分なりの味つけを盛り込んだりはした。例えば私たちはがお店に行った日に、沖縄料理のラフテー(豚の角煮)を頼んだが、食べてみて彼女が加えた新しいメニューだと感じた。彼女によると、「元々あったメニューなんですが、沖縄のシェフとは味つけを変えたんです。」とのことだった。なるほど彼女のラフテーは、中国南方の紅燒肉(ホン・シャオ・ロー)の味がした。

 

意外なことかもしれないが、沖縄料理に中国料理を融合させても、お客さんは頓着しなかった。こうした料理がどんな影響をお客さんに与えたかを聞いてみると、うちゃんはにっこり笑った。

「お客さんは、私が上海近辺の出身だと知っています。実のところお客さんは、店で出す料理のことはどうでもいいんです。それよりも私の方がずっと大事です。つまり私が店に出ていなければ、お客さんも来ない。例えば、私が中国へ帰っている間は、店は2週間まるきり閉めるわけにはいかないので、週末だけ開けています。日本人のパートの女の子が店に来てくれるんですが、彼女は料理も多少はできます。でも戻って来てみると、売り上げが著しく落ちています。お客さんは、『うちゃん怒るだろうな。こりゃひどいや!』と冗談を言うそうです。彼女には、大丈夫だから気にしないようにといつも言っていますが。」

 

うちゃんの人柄に加え、店の古くて“小汚い”(うちゃん曰く)雰囲気も、常連客を惹きつける魅力だ。

「日本にはお洒落な場所がたくさんあります。でも洒落たバーには決してない雰囲気というものがあるんです。そういうバーは、一人か二人で座って、本を読んだり静かにごはんを食べたりできる場所です。でもうちのお客さんは、一日の仕事帰りに解放されて、人とおしゃべりがしたいんです。そういうことは、小洒落た場所ではやりづらい。だってとても静かだし、知らない人に話しかけるような雰囲気ではないですから。うちの店は違います。どんなことでも話せるし、どんな自慢話をしてもいい。ストレスを発散できるんです。お酒を数杯飲んで麺でも食べたら、家に帰ってまた翌朝仕事に行く。うちの店に来ると、そういう気持ちになれるんだと思います。プレッシャーから解放される。日本人は、とても真面目な人が多いですから。」

 

うちゃんは毎晩一生懸命働いて、お客達に居心地の良い空間と食べ物を提供している。彼女は、西荻で一番有名な路地の飲酒店街で、この小さな店にコミュニティを築いたのだ 。(王、 ファーラー、 8月10日2017)

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