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西荻で繋がれていくネパール人コミュニティ

法務省の報道発表によると、平成二十九年六月現在、ネパール出身の在留外国人は約七万四千三百人。十年前の統計と比較してみると、在日ネパール人の人口は約六倍に増加している。今では、ネパール人の移民数は南アジア出身の移民の中で最も多く、大多数はレストラン業界に勤めており、日本全国各地でインド・ネパール料理を広めている。

 

ネパールレストラン経営者やシェフ増加の波に乗って、ネパール人のアレさんはここ西荻窪で「ジェイガネーシャ」というインド・ネパールカレー料理店を経営している。

2018年八月、アレさんの店はそろそろ三周年を迎える。現在三人のスタッフを雇っている。アレさんの家族構成は、奥さんと十歳の娘の三人だ。奥さんは時々店の手伝いをしているが、主に家で家事に従事している。アレさんの娘は現在、阿佐ヶ谷のエベレスト・インターナショナルスクールに通っている。日本でネパール人移民家族が増えてきたため子ども達の教育の場が必要とされ、平成二十五年に開校された学校である。

 

今回の取材では、アレさんのような、ネパール人のネットワークに深くかかわり、そのネットワークによって生計を立てている移民の生活について知ることができた。

 

アレさんは来日する前、インドで暮らしていた。彼はそこでインド料理を勉強し、デリーのホテルで働いていた。しばらくすると、彼の知り合いが続々と移民として日本にやって来るようになった。アレさんは彼らが移民となった個人的な理由についてはほとんど知らないと言う。彼自身が日本に来たいきさつについて、当時を振り返りこう話してくれた。

「私、友達いっぱい来たからね。一緒に働く方もいっぱいいたから、日本に来た。」

と。

来日したのち、ある知り合いの紹介によってアレさんも日本で仕事を得た。最初は様々なインドカレー屋で働いた。

「前はいっぱいあったけど、今はあるかは知らない。名古屋とか大阪とか東京とか全部いっぱいあったけど、今はあるか知らない。」

とアレさん。以前働いていたカレー屋がまだ経営しているかどうかについては知らいないようである。しかし、東京都内のネパール料理店とはつながっている。

「私の友達がみんな店持ってる。西荻とか、渋谷とか、池袋、新宿。」

 

アレさん自身は今から八年前に高田馬場で第一号店を開店した。五年後の平成二十七年、二号店としてここ西荻窪店を開店した。アレさんの店は西荻窪駅から徒歩で約三分のところにある。その店の外壁は明るく生きいきとした黄色で塗られている。ドアは赤く、そのドアの上部にはカラフルな横縞の看板。そして、壁に貼り付けてあるメニューの赤と緑のアクセントによって、店の外観の色鮮やかさに目が留まる。店名の「ガネーシャ」はもちろん、ヒンドゥー教で人気の神の名前で、ネパールでも崇拝されている。店の出入り口には象頭の神が置かれている神棚がある。

 

西荻窪店には土日出勤し、平日は高田馬場で働いているアレさん。アレさんが店にいない時間帯は、スタッフに店を任せている。アレさんによると、スタッフ達も彼のようにかつてインドで料理を勉強していたのだそうだ。アレさんは彼らをネパール人に紹介され、雇うようになったそうだ。ネパール人ネットワークが、ここアレさんの店でも活かされている。

 

アレさんの店ではインド料理とネパール料理の両方を提供している。しかし、彼に言わせると店のメニューにあるネパール料理はインド料理とよく似たものなのだそうだ。

「たいてい似てる。ネパールはあんまないけど、チョウメンとかモモだけあるから。全部インドです。」

と。実は、モモはネパールで三十から四十五種類が存在するのだそうだ。一方、店で出せないものはロティ。その理由を尋ねた。

「食べれないから。硬い。硬いです。作ったらすぐ食べないとダメです。ちょっと時間かかると、まな板だ。」

 

メニュー以外にも、アレさんは輸入に関する問題についても頭を悩ませなければならない。店内に入ると、真っ先に目に留まるのは店の奥の大量の酒瓶であろう。キッチンカウンターの上で様々な瓶が、小さな黄・赤・緑の電球に照らされている。まるでディスプレイ用に陳列されているようにも見えるが、アレさんは、

「業者に頼んでから、ここ置いてる。終わったら棚の中に入れる。あと……あんまり足りないんだったら頼みます。」

と。この多様な酒の中でネパールから輸入するビールについアレさんは話しを続けた。

「このビールがネパールから来る。これ高いです。このアイスビールね。これはネパールでは百円、二百円。二百円はかからない、多分。この瓶が。ここは多分、税込みで四百五十円ぐらい。」

こういった輸入飲料は仲介業者へのマージンが高そうだ。輸入飲料における利幅のほとんどは仲介業者に渡り、アレさんのような販売する者が得る利益はわずかである。

 

ほかにも輸入品の購入に関する悩みがある。顧客に人気のナンを焼くためのタンドール。アレさんはこのタンドールを日本製ではなく、インド製の輸入品を購入している。

「日本でもあるけど、日本のは高い。たぶん八十万円ぐらい。インドのは…日本のタンドール買うと、五十年ぐらいは大丈夫です。インドのは四年か五年ぐらい…。」

 

しかし、彼は、日本にいるインド人経営の業者によって料理に必要な材料のほとんどをインドから直接購入することなく、日本で手に入れることができる。アレさんの店で出される料理は全て手作りであるが、その材料は全て日本で購入しているそうだ。

「全部日本で。日本では、インド人が簡単なディスカウント持ってくるから。簡単な、チープな。」 

インドネットワークはサプライヤー側を支配しているようだ。そして、ネパリスはレストラン経営者であるシェフ側である。このようなネットワークの中での関係によって、アレさんは支出の一部を抑えることができるのである。

 

ネパール人の移民の増加に伴い、ネパール人のコミュニティは日本で成長しつつる。アレさんの店の経営・家庭事情もまた、このネットワークが大きくかかわっている。アレさんと同じように、ネパール料理店の起業家たちが日本中でインド・ネパール料理を広めている。この業界は激戦市場となり、数多くの料理店は生存が難しい。しかしその中で残る店は、地域に密着し、日本人消費者の味覚にそいつつも独自の印象を残していくものなのだろう。(ファーラージェームス、勝部利彩、木村史子、9月17日2018年)。

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