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国境を越え、人がつながるバー

隙間の町、西荻窪。西荻窪駅南口を出て西側にある柳小路にはバングラデッシュ料理タイ料理,など、多国籍の料理が味わえる店が並んでいる。夜になると、水色に白い文字の「Baboy」の看板に光がともる。

「エスニックな小路」として有名な柳小路だが、ここで最も古い店は沖縄出身の女性が立上げたバー、「Baboy」である。現在の主な客は日本人だが、かつては外国人労働者が集うバーであった。2018年の8月、狭いバーの中、客達はオーナーと沖縄文化、そして平和と愛について語り合っていた。Baboyは、やはり西荻にあるレストランBalthazarのような、どこかしら昔ながらの西荻ヒッピー文化を思い起こさせる。のんびりとした飲み屋で、夜が更け切ってから店が開き、レゲエからブルース、オルタナティヴ・ロックなどのエキセントリックな音楽が流れる。一人客はバーのカウンターに座り、グループで来た客達は奥のソファ席でくつろぐことができる。ここで人と話すきっかけを作るのは簡単だ。一見さんも外国人客も、オーナーの小禄恵子(おろくけいこ)さんが暖かく迎えてくれるからだ。

 

向かいにあるバングラデッシュ料理「ミルチ」の店長・バブさんは、昔のBaboyのことをこう話してくれた。そこには外国人たちが集まり、心地よく過ごしていた。Baboyのような居場所があったからこそ、二十年前、まだ人通りの少ないスナック通りだった柳小路でレストランを立上げようと思えた、と。

二十年前の柳小路といえば、ヤクザが集り、「外国人お断り」のまだ「青線」の名残を残した小路だった頃である。

 

Baboyは1996年、現在のオーナーの小禄さんが創業。バーの名前の「Baboy」はタガログ語で「豚」の意味だそう。小禄さんは沖縄県・宮古島出身。西荻窪に来てながいが、沖縄のルーツは忘れてない。インタビュー中にもさんぴん茶のためのお湯を沸かしていた。バブさんらお客達からは「おねえ」と呼ばれ親われている。

 

「おねえっていうのは、沖縄でねーねーって言うじゃないですか。で、うちの妹たちが、ねーねーって呼ばずにおねえって呼ぶんですよ。で、それをみんな、西荻の友達たちが、私のことおねえって呼ぶようになって。」

「ねーねー」とは、沖縄の方言で「姉」という意味で、年上の女性を親しみを込めて「ねーねー」と呼ぶ。ここからきた「おねえ」というニックネームは昔からのものだ。外国人の客達もそう呼んでいたと小禄さん。

 

Baboy経営するきっかけは、以前働いていたバーにある。

「違うオーナーがやってた『Baboy Hut』っていうお店があったんですけど…。違うオーナーがやってたお店があって、そこ、私がお手伝いしたんです。」

バブル時代の後半、出稼ぎで来日した外国人たちが仕事帰りに気軽に飲める場を提供したい、という想いで誕生したのが「Baboy Hut」だった。「Baboy Hut=豚小屋」という名前の通り、二坪という狭さで、今のBaboyのキッチンスペースほどしかない立ち飲みバーだったそうだ。

 

Baboy Hutは世界各国から来た外国人労働者が集まる生き生きとした空間で、みんなそれぞれ独特の雰囲気を放っていたそうだ。

「もう、動物園の檻の中にいるのが私、みたいな。ほんっとに面白かった!もうね、仕事しながら旅行してるって気分。ほんと、いろんな国の人が来る。それこそラテン系の人もいるし、言語も様々だし。」

「でも共通語ってなったら英語になっちゃうじゃないですか。だから、そこの最初のオーナーがえーっと、西荻に溢れてる外国人がいる。で、その人たちが労働の後に飲む店が絶対欲しいはずだ。でもなかなかこ普通の居酒屋さんじゃ入りづらいだろうし、メニューも読めないだろうし、そう言う人たちが飲める店を僕はやりたいって、始めたのが、その店。」

小禄さんはそこで、喧嘩も恋愛も見てきたと言う。喧嘩は誰が止めたのかと問うと、小禄さんは「(自分が)止めるしかない!」と声をあげた。お客達も小禄さんに協力してくれた、と、その頃の思い出を語る。

 

Baboy のインターナショナルな客層が、現在の日本人メインに変わったのは十年ほど前だそうだ。

「十年ちょっと前くらいから徐々に日本人の方がね、徐々に増えてきて。」

さらにどういった客がバーに訪れるのか聞くと、誰かの紹介で来る客が多いとのこと。

「友達が紹介してくれたとか、そういう人たちが来てくれるし、仲のいいね、ずっとね、友達はいまだに来てくれるし。」

初めてBaboyに足を踏み入れる客ももちろん歓迎されるが、客のほとんどは常連である。

「ほんと三十年以上のお付き合いの友達たちが、と言っても、最初はお客さんで出会ったんだけど、三十年以上の付き合いになると友達になっちゃっていますよね。そういう人たちがいまだに来てくれるし。で、最初は一見だったのに、ね? ずっとね、寄って来てくれる人たちとか。」

「そんな感じかな? そういう人たちがまた友達を連れてきて、どんどんどんどん……そんな感じで広がってきて。で、みなさん、なんかお客さん同士で仲がいいんですよ! 私すごい嬉しくて。」

お客同士の仲の良さが自慢だと話す小禄さん。一体何がそういった人たちをBaboyに惹きつけると思うか、と聞くと、「分からない!」と。

「なんなんだろう。たまに、なんでこんな店に?って思うんだよね。何も、特別何もないし、ね? なんのサービスがあるわけでもない」

 

Baboyの音楽は実に多様だ 。 レゲエバーと称しているものの、小禄さんは数年前にはクラシックレゲエに飽きたと言う。今、店内では、現代のブルースからヒップホップ、 クラブミュージック、オルタナティブロックまで、幅広いジャンルの音楽が流れている。

 

「Baboy」の常連達は自ら進んで小禄さんに助けの手を差し伸べる。例えば、小禄さんが忙しくて手が回らないとき、さっとカウンターに入り手伝う。中には、小禄さんの長期不在時には店を任せられるほど信用されている常連客もいるそうだ。

「例えば、私が一ヶ月休んだりどっか行くってなったときにも、手伝ってくれてる人達がさっと入って、こう、やってくれる。全くできない人達じゃない。」

 

小禄さんは、「助け合いの精神」は西荻窪ならではのものではないかと考える。しかし、Baboyという空間を創り上げた彼女自身が、西荻窪のオルタナティブでヒッピー的な雰囲気を作った人と言っても過言ではないだろう。

「西荻ってやっぱそういうとこがね。もともとそういうのが……もともとほら、そういうヒッピーの人たちがさ、西荻のこう、ヒッピー文化がこうなんか、あったところだからかしんないけど、西荻に来る人たちはそんな感じの人たちが多い。」

 

最後に、沖縄から西荻窪にやって来たきっかけを聞いた。

「最初ね、東京……東京出て来て違う所に住んでたんだけど、西荻に友達が住んでいて、で、その頃はね、『西荻ロフト』っていうライブハウスがあった。(アケタの店お店いまだにありますよね。)あの、すごいなんか、こんな、今はこう、割とすごい、飲み屋もいっぱいあるしね、こんなに発展したような感じではなかったんだけど。昔は西荻はちょっと駅から外れたら畑があったりとか、すごいローカルなんですよ。それなのに、もうなんか浅川マキさんとか歩いていたりとか。すごいね、だから一流ミュージシャンが普通に歩いてる街なの。えー!と思って。私絶対この街に住む! で、ここに移り住んで、かれこれ四十年が経ちましたよね。多分ね。」

「ここが第二の故郷。で、その頃は私がほら、東京出た頃だとほら、沖縄差別とかさ、アイヌ差別とか、そういうのあった……まあ、水面下なんだけど。あんまり表面的に出さない、そういうのあった時代だったのね。でも、西荻に住み着いて、友達ができて、できた友達たちは一切そんな感じじゃなくって。すごい居心地よかった。友達が。それでまあ、友達がどんどん増えてって、やっぱりもう、この街が大好きになって。で、今だにここに住んでいるっていう。なんか、離れられなくなっちゃって。沖縄帰りたい、とか言いながらずっとなぜかここにいる、みたいな。そうなの。」

 

 

インタビュー中、小禄さんは西荻窪で出会った人々に対して何度も感謝の言葉を口にしていたのが印象的だった。「いや、もうほんっとに、ほんっとに思うよ。感謝しかないもん。」   (香村栄実、ファーラー・ジェームス、木村史子、4月4日2019年)。