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「アテ」がつくるフィリピンの家庭料理

多くの国々から文化的影響を受けてきたフィリピン料理だが、他の東南アジア料理と比べ日本ではあまり知られていない。フィリピン文化の専門家である上智大学の寺田勇文(てらだ たけふみ)教授は、フィリピンを代表する人気料理であるアドボが「茶色すぎる!」からではないかと言う。フィリピン料理は、タイやベトナム料理のようにスパイシーではなく、色鮮やかでもない。近年、都内で東南アジア料理店が増えている。しかし、語学留学やビジネス、旅行の行き先として日本人に馴染みがあるはずの、フィリピンの料理店を目にする機会は少ない。

 

西荻窪にあるフィリピンレストラン「ATE(アテ)」は本場のフィリピン家庭料理で、日本に住むフィリピン人をはじめとした多くのお客達を魅了している。駅の南口を出て、西荻南中央通りを進むと、店の看板が目に入る。店主の竹内真弓(たけうち まゆみ)さんは三十七年前に来日し、その後日本人の夫と結婚、帰化したそうだ。結婚してから現在まで、ここ西荻窪で暮らしている。

 

竹内さんによると、中央線沿線に住むフィリピン人は少なくないそうだ。会社員や学生といった若いフィリピン人もよく来店する。

「フィリピンからscholarship(奨学金)かな、会社が勉強させに行かせる子達、結構いますよね。そういう子達は来ます。やっぱりフィリピン料理食べたいって。自分のお母さんの料理が食べたいって。でも、自分達は料理できない人が多いんですよ。」

日本にいる若いフィリピン人は自分で料理ができず、家庭料理が恋しくなる人が多いらしい。

 

店名の由来である「ATE(アテ)」はフィリピンの公用語であるタガログ語で「姉」という意味だ。竹内さんは、フィリピンにいる家族の代わりに、日本にいるATE(アテ)としてお客にフィリピンの家庭料理を提供している。

「フィリピンの場合は、アテは長女。お母さんの次は長女なんですよ。長女が、作ってくれるの。お母さんがいなければ、お姉さんが作ってくれる。洗濯もお母さんやるんだけど、お母さんが病気の時お姉さんがやる。お姉さんがやることが多いんですよ。例えば五人兄弟だと、お姉ちゃんとお兄ちゃんは大変なんですよ。お母さん代わりに、何でもお姉さんがするから。」

 

ATE(アテ)で竹内さんが提供するのは、マニラ近くのイムス・カビーテで飲食店を経営していた祖母の味付けを受け継いだフィリピン家庭料理だ。

「うちのおばあさんは、特にアドボは自分だけの味付け。同じフィリピン人でも、そういうアドボにはしない。・・・他のフィリピン人が作っていても、そうならない。秘密です。」

アドボとは、豚肉や鶏肉を酢などで漬け込んだものを煮込む料理だ。フィリピンの代表的な家庭料理で、この店の人気メニューでもある。

 

アドボは熱帯の気候の下で、食べ物を保存するために生まれた調理方法だそうだ。

「昔のフィリピンってお金がなければ、冷蔵庫がない。アドボは3日間でも1週間でももつんですよ。酢で煮るから、もう全部飛ばして。」

ATE(アテ)のアドボの材料は普通の店と同じだが、作り方が特別らしい。竹内さんは過去三回NHKの料理番組でフィリピン料理のレシピを公開した経験があるそうだが、秘伝のアドボだけは思い入れが強く、公開しなかったそうだ。

 

アドボの他に、シニガンも人気メニューの一つだ。タガログ語でシニガンは「煮込む」という意味。タマリンドというフルーツを用いた酸味のあるスープで、主に玉ねぎ、大根、オクラなどを煮込んで作られる。タマリンドは出汁のように使われ、酸味を加える。タマリンドがなければ代わりにグリーンマンゴーを使う。現在は粉末状のインスタントのシニガンも販売されているが、日本ではあまり売られていない。タマリンドやマンゴーも高価なので、日本に住む若いフィリピン人には手に入りにくいそうだ。

 

アドボやシニガン特有の酸っぱさはフィリピン料理ならではだ。アドボの酸味は酢から出る。フィリピンの酢はサトウキビからできており、日本のものと比較すると酸味が強い。竹内さんは調理する際、酢はフィリピン製を使用し、醤油は日本のものを使う。

「醤油はフィリピンの醤油は使わない。なぜかと言うと、フィリピンの醤油は真っ黒。真っ黒で、何か下にカスがかたまっているみたいな。」

フィリピン料理は、その醤油の影響で色が濃い茶色をしたものが多いそうだ。

 

本場のフィリピンの味を提供するATE(アテ)だが、料理の見た目は日本人に受け入れられやすいよう工夫をしている。

「向こうは飾らないんですね。味だけ。ぶつ切りじゃないですか。何も考えなくて、作れば、という感じ。」

「家庭料理なんだけど、出し方は日本に合わせた。(フィリピン料理は)全然飾りもないし、それだけは日本に合わせて。うちに来るのは日本人が多いので。」

 

店で提供する料理は、基本的に竹内さんが一人で調理している。

十八時から営業し、二十二時がラストオーダーとなる。週末のみランチ営業もあり、第一と第三日曜日は食べ放題で様々なフィリピン料理を楽しめるそうだ。

 

元々店を始めたのは十一年前、スナックやバーが多く入っているビルの地下だった。店名は「ごはんやATE(アテ)」。日本人の友人と共同で経営を開始し、和食とフィリピン料理を提供していた。当時の店は地下だったので、本格的なフィリピン料理を作るために必要な調理器具を置くことができなかったそうだ。

「本当にメニューは五つか六つくらい。それしかできなかったんですよ。あと周りが飲み屋じゃないですか。うちもパブだと思われていたみたいで(笑)」

「向こうの地下の時は、飲みたい人しかいない?遊びたいと言うか(笑)食べるより、お酒を飲みながらつまむ。やっぱりちょっと寂しいよね。」

お客はお酒が中心で料理を頼まない人が多かったらしい。そんな中でも、飲み屋のような形式でなく、本格的なフィリピン料理を提供したいという想いは消えなかった。

 

当時は営業する中で、いかに日本でフィリピン料理が知られていないか痛感することも多かったそうだ。留学や旅行でフィリピンに足を運ぶ日本人が多い一方、その食文化はタイやベトナムと比べ浸透していないという現状がある。

「日本人にまだフィリピン料理伝わってない?で、イメージがすごい下なんですよ。心が痛くなるくらい、色々聞きましたね。フィリピン料理って『まずい、臭い』って。」

「絶対に良い場所を見つけたら、移動したいな、本格的なフィリピン料理を作りたいなって。日本に、ベトナム料理も、色々な料理ありますよね。フィリピン料理も、そんなに『まずい、臭い』って、そのイメージを消したいって言うか、もうちょっとフィリピン料理も入れて欲しいなって。」

 

竹内さんは、その場所で四年間営業した後、現在店を構える西荻南中央通りに移転し、「ATE(アテ)」として再始動した。

地下で営業していた頃よりも店に入りやすくなり、客層も広がった。現在のお客のほとんどが日本人で、フィリピン人は二割ほどらしい。最近はアメリカ人のお客も多いそうだ。

「こっちはタガログ、日本語、英語って(笑)脳みそ混乱するんですよ。」

 

今はお店の営業も順調な竹内さんだが、来日した当初は苦労したそうだ。

「イメージとして、フィリピンの子のイメージって水商売しかないじゃないですか。フィリピン人見たらー『どこのお店?』って。旦那と子どもがいればそういう風に聞かないんだけど、一人で歩いている時に、まぁ、まだ若いときに、よく聞かれましたね。」

 

結婚する前は夫とも英語で会話していたため、日本語は日々の生活の中で習得した。

「子どもができたら、日本語話せないし、学校のこととか教えられないし。自分なりの、勉強ですね。」

 

当時、息子たちが通っていた小学校にいた外国出身の保護者は竹内さんだけだった。日本人の夫が海外出張に行くことが多かったため、子育て中に言葉の壁にぶつかったそうだ。

「学校入ったときに一番大変だったんですよ。私が日本語分からないから、もう先生が言っていることが分からない。」

「子どもが色々な紙を持ってくるじゃないですか。それを私が分かるように、先生に(海外出張に行く旦那が)お願いするんですよ。もう1週間いなくなりますから、『私の奥さんが分かるようにお願いします』ってお願いするんです。」

「お母さんのあれじゃないですかね。子どもに教えられないから、自分がしっかりしなくちゃならない。だから字も読めるようになったんですよ。漢字とか、まぁ難しい漢字は無理なんですけど。でも大体分かりますね。目で覚えた。」

竹内さんの母としての愛情が、独学で日本語を学ぶ後押しとなった。フィリピン人は家族の絆が強く、何歳になっても息子たちは可愛くて仕方がないと話してくれた。

 

竹内さんは調理を一人で行っているが、実の甥がウェイターとして店で働いている。フィリピン人である妹の息子だ。

「この子は日本人です。日本国籍なんだけども、赤ちゃんのときにフィリピンに連れて帰って、あっちで大人になったんです。で、戻ったのが去年。やっぱり、生まれた故郷ですか?どうしても自然に戻りたくなっちゃうってことかな?だから日本語はあんまり話せない。ちょこちょこ単語くらいは分かります。ここの学校には入ってないから。でも、どうしても(日本に)帰りたいからって。」

 

彼は日本語が話せないため、最初は茨城にある工場で十ヶ月勤務していた。しかし現在は竹内さんたちと暮らしながら言葉を学んでいる。

「やっぱり私の所に来たいからって電話がかかってきたんですよ。やっぱり甥っ子だから放って置くことできないし、迎えに行きました。」

「この子が入ってから、うんと楽になった。全然違います。」

気心の知れた家族だと、働くのが楽だと笑いながら話してくれた。

 

ATE(アテ)では彼以外にも、若い日本人の女子学生のアルバイト店員もいる。皿洗いなどは不慣れだが、フィリピン料理が大好きだと言われると嬉しくて、受け入れてしまうそうだ。

「うちは賄いじゃなくて、ちゃんとした物を作って、ファミリーみたいに食べる。だから、それが一番魅力的かな。ここで働く子にとって。」

「やっぱり(フィリピン料理が)好きみたいですね。好きでなければ、うちで働かないもん。やっぱり可愛いよね。うち、女の子どもいないから、(バイトの店員が)女の子で喜んでいるの。もうお母さんみたいな感じ。」

 

竹内さんは、バイトの店員にとっても、お客にとっても、温かい笑顔と料理で迎えてくれる「ATE(アテ)」のお姉さんなのだろう。日本人のフィリピンに対する理解は、未だ偏ったものがある。そんな中、「ATE(アテ)」は、フィリピンの故郷の味を提供する場であるのと同時に、料理を通じてフィリピンの魅力を伝える場になっている。(ファーラー・ジェームス、河合真由子、木村史子 7月10日2019年)

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