家族経営飲食店、その喜びと憂い

おじいちゃん、おばあちゃん、息子、娘、婿、嫁、子ども。調理場のメインは一代目、二代目、三代目と変わっていくが、働くのは家族みんなで、の家族経営。客達もやはり、家族何代もでその店へ通う。

 

家族経営の飲食店、それもお店が自宅でもある場合のメリットは何なのだろうか。まずは利益。店の利益は家族全員が生活できる分があればいい。次に働き手。家族なので採用する手間や、諸事情で辞められてしまうこともほぼない。育成も、他人を育成するのにはなにかと気を遣うかもしれないが、家族であればもっとざっくばらんに仕事をお願いできるかもしれない。また、家族同士なので、生活の状況をお互いにわかりあえているだろう。

 

一方、家族経営のデメリットとはなんだろうか。家族で仕事場が同じ、もちろん家族なので生活の場も同じ。一日中、一年中、一生、同じ場所で同じ時間を過ごすことになる。仕事とプライベートで気持ちを切り替えるのが難しいかもしれない。そして、家族経営の店は、継いでいく者がいなければ店を閉めざるを得ない運命にある。

 

西荻窪にも代々続く家族経営の飲食店がいくつもある。

私達は、日本の家族経営の現状を知り、考察したく思う。そこで今回は、西荻で二代続く家族経営の蕎麦屋「昌久」にお話をうかがった。

お話をしてくださったのは宮川 美香(みやがわ みか)さん。二十五年前、ご主人の宮川 貴行(みやがわ たかゆき)さんの元に嫁いでいていらした。貴行さんと美香さんのお二人は、現在昌久の中心として働いていらっしゃる。

昌久が西荻に店を構えたのは、貴行さんのお母様が生まれてすぐの頃だったそうだ。お母様は現在八十歳。昭和十三年のお生まれだ。

「今八十。昭和十三年生まれで、そのあとすぐここに来たので。その、何年っていうのがはっきりしなくて…だいたい八十年弱くらいということで。ここは母の実家で。お婿さんをとったのが二代目なんです。」

西荻に店を移す前は何代続いてきたのかは不明だそうだが、家族経営の蕎麦屋としては百年は続いていると思われる。西荻の蕎麦屋としては、貴行さんで三代目だ。

 

西荻で店を始めた頃のお話をうかがった。

「昔、なんて言ったか…。大宮前です。この辺もそうだったらしいです。」

「その頃はお蕎麦屋さんという限定ではなくて、料理屋をやっていて、お蕎麦をやったりお寿司をやったり鰻をやったり、そういう。ここに来たときは鰻をさばいたりして。戦争が間に挟まって、そのときに、ここの主人(貴行さんのお父様)は給食を作りに行ったりするような仕事をしてて、お店はお休みしてたっていう話を聞いているんですけど。それが落ち着いてからまた蕎麦屋を再開して。」

戦争でも店は焼けなかったので、同じ場所で店を続けることができたそうだ。

 

これまで出してきたメニューについてうかがった。

「鰻もずっとやってたんですけど、初代は自分でさばいてたんですけど、だんだん時代で便利なものも出てきたので、それを使って。鰻も十年ぐらい前まで、うちもやってたかな。セットで。でも仕入が高いので、あんまり高いの出しても、と思ってやめたんですけど。天ぷらと鰻とごはんをやってました。でも、鰻はただメニューの一つで、ずっと蕎麦屋ですよね。かつ丼があるのと同じ感じで鰻がある感じで。うどんもずっとあります。」

昌久で一番出るのは天ざるだそうだ。麺は自家製麺。

「一番出ますね。冬もですね。あったかいのも出ますけどやっぱり天ざるが一番出るかな。」

「全部自家製麺なんですけど、手打ちじゃないので。機械で打ってるので、そこが違う。うどんもそばも自家製麺。手打ちは、出前がやっていけないので。主人はほんとはそこまでこだわってというのもあるんですけど、出前するなら手打ちはね……。手打ちの蕎麦は出前とかには向いてなかったりするので。」

 

今、昌久のお客はどのような方達なのだろうか。

「うち、駅から遠いので、そうですね。出前が出ますね。七:三ぐらい。(出前七:店食三)今は(コロナのため)八:二ぐらい。でもやっぱり、一日平均としては、売り上げの中では七:三だと思います。」

私達が思っていたよりも出前を頼む客が多いのに驚いた。ただ、出前、店食ともにお客様の数は減少傾向にあるそうだ。

「奥様方もお仕事出ちゃって、ほとんど誰も家にいないじゃないですか。で、今はだいぶ減ってしまったんですけど。専業主婦の方が家にいる時はお昼ごはんにちょっととか、集まってちょっととか昔はあったらしいんですよ。あと、お子さんが学校がない時にとか。でも今は学校が土曜も給食が…とかでだいぶ減って。で、主流はやっぱりお年寄りです。お蕎麦ってやっぱり若い方よりお年寄りの方が召し上がっていただけるので、数は少ないけど、一個とか二個とかですけど、毎日のように頼んでくださる。買いに行くのが大変だったりするので頼んでいただける。やっぱり固定のお客様が多いです。ご飯ものとお蕎麦とあるので、日替わりで選んでくださって。」

「ちょっと今は(コロナのため)若い方も多いですよね。ご自宅で仕事しててお昼ちょっと食べに来てくださるっていう。現場あると職人さんが多い。ちょっと、道路工事もそうですけど、そこの方たちが来てくださって。そういう感じかなぁ。土日の夜はご家族。平日の夜は独身の方が食べに来るって感じですよね。結婚してないような男の人が多いです。そうですね、一杯飲んで。新しいマンションの方も来ますね。でも、出前の方が多い。でも、出前行くと、『お店でこれを食べた』って言ってくださって。顔と名前が一致しないので、そのときに、来てくださってるってわかりますね。若い方が多いですね。うどんとかお子さんとかにも食べさせやすいから。」

「昔はもっと忙しかったですね。やっぱりね、 専業主婦の方が減って、もうほとんどいないですよね、おうちに。あと、家族の単位が小さくなって、一家族にそんなに数が行かないですよね。二~三個まで。昔は何世代もいてたくさんとってくださったんですけど、そういうところも少なくなってきてますし。」

「それに、コンビニでも買えるじゃないですか。職人さんなんかでも、コンビニの袋下げて。天気が良かったら。寒かったり暑かったりするときはお店に来てくださるけど。今便利な時代になってきてるから。安いしおいしくなってるから。ねぇ。ほんとにそれが大きいと思います。」

客数の減少の原因は、核家族化、夫婦共働き、そしてコンビニエンスストの増加だろうと話す。

 

そうは言うものの蕎麦屋の毎日は忙しい。貴行さんは午前五時に仕事をスタートさせている。

「あの人は朝、五時にはもう仕事してる…。もうとにかく五時ぐらいには始まってるみたいなので、四時半か五時には。営業終了が夜八時で、片づけ終わるのが十時ぐらい。なので、時間としてはほんとに長くて。お昼は少しは休んでます。三時五時は休んでいるのでそこの間に夜の準備を少しだけするけど、一時間くらいは休めていると思います。」

「私は子供中心でまだやらせてもらっているので、一応子供たちが起きる七時とか、学校の時間に。夜は全員仕事終わってからごはん食べさせるのでその片付けが終わってから、十二時ぐらいには全部終わって。でもそのスタイルができるまでは、子どもがちっちゃかったときはほんと大変でしたけど。」

ご夫婦ともども、かなりの長時間労働だ。

 

美香さんのご実家は飲食店関係ではなかった。ご結婚当初、すんなりこの生活になじめたのかをうかがった。

「私は二十五年目かな。息子が二十三なので…。結婚してここに。はい。大変でしたね。最初は大晦日(年越し蕎麦)が。ほんとに泣いちゃうぐらい(笑)。もう普段の忙しい時が一としたら、五倍になるんですよね。暇な時からしたらもう十倍くらいで。でも、前の日の夜からの準備が大変で。私は子供がいたので子どもの世話とかで。でも男の人達は前の日から量を全部仕込まないといけないので、前の日にお店を早く切り上げて準備にとりかかるんですけど。ま、寝れないとかはないんですけど、その日の忙しさって言ったらもうびっくりして。でもお蕎麦屋さんの人はそれを『蕎麦屋のお祭り』って言うんですって。」

「私は東京です。三鷹です。若かったからなにも考えていなかったんで。親はちょっと反対したんですけど。やっぱり『大変よ』、って。もともと体を動かす仕事をしていたので、主婦になってお家に入るっていうのは自分には向いていないだろうなっていうのはちょっとあって。だからずっと働いている方が。あんまり暇な時間を過ごすっていうのは考えていなかったんで。そういう感覚で入ったんですけど。ほんとは自分の仕事も続けたかったけど、もうやっぱりそれどころじゃなくて(笑)。入ってから知りましたけど。」

笑ってお話をされているが、新しい家族の中に入り、その中で初めての飲食の仕事と子育てとで大変な日々だっただろう。

 

現在のご家族の仕事分担についてうかがった。

「今はまだ父と母が少しだけ手伝ってくれているので、わたしも入れれば五人で。あともう一人出前兼全部やってくれる人が一人。アルバイトなんですけど。五人で、あと土日の忙しい時はアルバイトをプラス一人です。」

アルバイトには、もう結婚して家を出られた貴行さんのお姉さまお二人が来られるそうだ。

「お汁の仕込みとか麺とか、主になるものは全部主人がやっています。三代目が。天ぷらも全部。自分でやらないと気が済まないので。職人ですよ。本人は代々教わってきたことをやってきて、あと割合とかを変えてやっていますけど。でも全て人に任せられない。納得しないとやれない。」

貴行さんは、昌久で働く前はイタリアンなどの飲食でも働いた経験があるそうだ。

「いろいろやってうちに入ったんです。私よりちょっと前。二十二、三までは好きなことをやってたと思います。まだ二代目が元気でやっていたので手分けして少しずつ少しずつ…。二代目も譲れないところがあるので。それもおもしろいですよね。少しずつ二人の割合が変わっていくっていう。もう今はほぼ主人です。(お父様は)八十五ですので。出前も、八十ちょっと前までやってくれてたんです。今もねぎを刻んで……。自分の仕事がちゃんとあって、今も洗い物は片づけてくれるし。でも親子だから、(貴行さんがお父様に対して)動けなくなることにイラっと…。ちゃんとやってるんだけど。わたしは両方の気持ちが分かるので……。でも、こういうこともできなくなっちゃうんだ、と息子として目の当たりにするので、毎日。それがね……。」

家族で働くということは、仕事と割り切ってドライな気持ちで働こうとしても、それがちょっと難しくなる状況を作り出すようだ。

 

昌久のご家族は、仕事場だけでなく生活の場も同じである。全員が店の上階の自宅にお住まいだ。

「最初は子供が小さかったからお互い楽しくやってきたんだけど。やっぱり疲れてるとお互いに……。」

美香さんは宮川家に嫁いできているという身であるため、仕事中も生活の中でも気を遣う部分が多いのかもしれない。お子さんは三人。一番下は十四歳なので、まだ手がかかる。お父様、お母様は一緒に働いてくれているものの、高齢になっているため通院などもある。ここは、お父様、お母様が安心するようにとお姉様達が担当なさっているとのこと。生活の中での役割分担も気配りが必要な様子がうかがえる。

 

最後に、昌久の今後についてうかがった。

「子供ですか?一番上が二十二、次が二年生だから十九ですね。で一番下が十四。男男女です。継がないです。継がないし継がせない。継いだら一緒にやらなきゃいけないでしょ(笑)。うちの旦那さんは、もうそういう時代じゃないって。だいたいこういうお蕎麦屋さんとかが生き残っていく時代じゃなくなってきてるし、将来的に継がせたくないっていうスタンスでいて。私は私でお嫁さんと一緒に働くのはね(笑)。死ぬまでってことになっちゃう。」

息子さんや娘さんが継ぐと言い出したらどうするのか、と尋ねると、

「そしたら手伝いますけど、そういう意識ないです。小さい時から手伝わせるとか……。蕎麦湯も知らないような子供達になっちゃって。食べるのはずっと食べてるけど、お蕎麦屋さんに行ったりしないじゃないですか。蕎麦屋だから。だからお蕎麦のことを知らない子供達になっていて。外に食べに行く機会があったときに、『あら、やだ、なんにも知らない』って。わさびも入れないし。『ちゃんと食べてよ、お蕎麦屋さんの子だから』って言ったんだけど、家ではもう好きなもの入れて食べてるから…。」

お二人は自分たちの代で終わりのつもりでやっているそうだ。

「なので、ちょっと店の手直ししないといけないっていうところも、逆算して『そこは直さなくってもいいんじゃないの』って。なんとか持たせようって。」

日本のあちらこちらにあり、その町の人たちの食事を支えてきた家族経営の飲食店。しかし、時代とともに変わる家族の形、食、仕事への考え方から、確実に減ってきている。客側も、店側もである。飲食店業界だけでなく他の業界でも後継者不足が叫ばれる昨今であるが、今回お話をうかがって見えてきたことは「不足している」のではなく、「継がせない」という考え方が出てきているということだ。この考え方が広がっているとしたら、日本の家族経営の飲食店はそれこそ絶滅危惧種になっていくのではないだろうか。(ファーラー ジェームス、木村史子、2021年四月二十一日)

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