日本酒の伝統を再生する酒屋 三ッ矢酒店 

西荻の老舗酒店「三ツ矢酒店」の酒試飲会では、米の国、日本の食文化を味わえる。遠い地方からやってくる蔵元の人々は、クールな東京ではあまり感じられない情熱さで彼らの酒を紹介する。来店する客達は、男も女も何杯も何杯も試飲をし、日本酒を「学ぶ」。鼻にも脳にも飛んで来る麹と米の香は、昔ながらの「日本の味」であるのか?いや、そう簡単には言えないだろう。現在、地酒ブーム。試飲会、日本酒ソムリエ、香り豊かなで味芳醇な味と香りの地酒。実は、現在の日本酒文化はとても新しいものだったのだ。

 

今年で90周年の「三ツ矢酒店」は,東京のこの地酒ブームの発信地の一つだ。そして、現在も地酒コミュニティーの柱である。西荻住民だけではなく、遠いところから「幻の地酒」を求めて客がやって来る西荻の老舗酒店。大正15年5月、創業。西荻で一番長く経営するお店だそうだ。鴨志田清太郎さん(明治34年生まれ)が現在の場所に酒店を開店したのがはじまりだった。

 

話をうかがったのは、清太郎さんの息子さんの鴨志田勝義さんとお孫さんの鴨志田知史さん。三ツ矢はずっと家族経営で酒店を営んでいるのである。

 

三ツ矢酒店が開店した頃、西荻は何もなく、杉林ばかりがたくさんあったそうだ。お酒の商売ももちろん今と違う。その頃は和服で御用聞きをしていた。御用聞きでの商売が中心で、日本酒や味噌、醤油、燃料(炭)・灯油などもやっていたそうである。いろいろな職種の商売がまだない時代だった。御用聞きに行って、お客さんから必要だと言われたものをそろえていった。酒類、食料品、燃料……。ほうきなども売ったことがあったそうだ。ほうきのような大きなものは持って帰るのが大変なので、当時は酒屋の御用聞きに頼んで持ってきてもらっていたのである。

 

現在は地酒販売においては抜きんでている三ツ矢酒店だが、三ツ矢の地酒の歴史は昭和50年代からだそうだ。話をうかがうと、戦後の日本の食生活の変化が見えてきた。

 

「戦後は日本酒が一番人気だった。日本酒は清酒。清酒が手に入らないときは合成酒そのうち、生活が豊かになってくるとビールを飲み始めた。昭和34~5年くらいにはビール文化になっていった。」

 

勝義さんはこう言った。

「戦後、日本酒の人気がなくなった。理由は、戦後の頃の日本酒が甘かったからだろう。甘露、甘露と言っていた。甘いものがなくて、甘味に飢えていた時代だった。でも、その後、生活が豊かになってきて、他に甘いものが出てきた。それで、甘い日本酒は『くどい』という感覚になってきた。」

「で、もっとすっきりしたものを…となり、ビールなどに移っていって、日本酒の格が落ちていった。今から20年くらい前はもうビールで、日本酒はあまり飲まなくなっていた。飲み屋でも『日本酒』としか書いてなくて、銘柄は書かれていなかった。」。

 

「日本酒は、最初は関西の灘(なだ)の大手ばかり扱っていた。そのうち、みんな飽きてきた。そんなとき、ある人が書いた「地酒」という本が出た。わたしが腰を痛めて入院したときにこの本を買って読んだ。ちょうどその頃、西荻の『さごじょう』という店で新潟の越乃寒梅を持ってきた飲み屋さんがあった。そこのだんなにかわいがってもらった。そこのだんなが『これから地酒が出るよ』と言っていた。探してみると、その頃、東京には地酒がまだ入ってなかった。なので、蔵元まで出張っていかなければならないなぁと思った。」

 

「その頃、兄が電車の時刻表が好きで、いつも時刻表を見ていた。この蔵に行くには、どの電車に乗っていったらいいか?など考えて、買い付けに行き始めた。その頃はまだ新幹線もなく鈍行列車を乗り継いで行っていた。」

 

「でも、いきなり買い付けに行っても売ってくれなかった。『東京にこの酒が売れるか!』と言われたりした。現金を持って行っても断られた。まだその頃、地酒は地元でどんどん売れていたので、蔵元が売らなかった。東京で売るということにも慣れていないし、わたしたちへの信用もない。なので、とにかくお金を持っていく。が、それでも売ってくれなかった。よく門前払いをされた。通って売ってもらえるまで交渉して、買い付けて、店に並べ始めたのが昭和50年後半。」

 

しかし、その後、日本酒の売り上げがどんどん伸びていったわけではないようだ。

 

「日本酒はその後もそれほど伸びてなかったが、2011年の大震災以降、日本酒が盛り上がってきた。実はそれまで落ち気味だった。実は今も日本酒は落ち気味で、でも、その中で純米酒・純米吟醸というカテゴリーが伸びている。本質のものだけが飲まれている。」

 

「昔と違って、日本酒は『毎日のお酒』ではなく、『週末の特別なお酒』になってきているよう。実際にお客さんも、週末に飲むものを買いに来る。なので、一升瓶より750ml瓶の方が出る。毎日は、ビールやワインを飲む人が増えているよう。」

 

「昔は、日本酒はお燗で飲んでいた。でも、今は冷やして飲む。冷蔵庫に入るのがいいので、750ml瓶が増えている。冷たく冷やして飲む習慣が広まっている。昔は、真夏は日本酒が全然売れなかった。暖めて飲むのがふつうだったから。でも今は、夏でも変わらなく売れる。冷たくして飲むので。」

 

ここに、勝義さんたちは、食生活の大きな変化があると見ている。

 

「地酒を扱い始めて40年になるが、当時と比べて味覚が変わってきた。今は濃い味に慣れている。コンビニ弁当とか。洋食も。昔は出汁の淡白な味が普通だった。今は濃い味が普通になっている。なので、日本酒も味がはっきりしたインパクトのあるものが喜ばれる。昔の酒はなんとなく飲み続けられる酒だった。「毎日飲む酒」だから。今の冷やして飲む酒は、飲み続けられる酒が少ない。温度が上がってくると、くどくなってくる。」

 

「最近は和食以外でも飲まれていて、洋食系のお店の方も買いに来ている。イタリアンやフレンチの方も来る。」

 

しかし、勝義さんは今どきの酒は飲まないそうだ。昔ながらのオーソドックスな日本酒を、月に6升、徳利でつけた燗で飲むそうである。石川県の「菊姫の先一杯」。飲み飽きしないじゃまにならず、それでいてある程度インパクトがある。そして、酸があるので口の中で残らずキレがあるそうだ。

 

「燗酒の方がおかずに合いやすい。刺身はお燗の方が魚の生臭みも消えていい。冷たいお酒だと、魚の生臭さが消えない。日本酒は醤油味が合う。」

 

「昔は暖めないと飲めないお酒があった。アルコールを少し飛ばして飲んだ方がいいようなお酒とか。今はあっためなくて、繊細な味が味わえる酒が増えた。でも逆に、暖めるとおいしくないものもある。味が多すぎておいしくない。」

 

蔵元もこの味覚の変化に合わせて酒を造るようになってきている。そして、最近は地元で飲んでもらおうというより、東京で飲んでもらうための酒も出してくるようになってきているそうだ。地元の人達は純米酒じゃなくてもいいが、東京の人は純米酒を好む。それに、週末しか飲まないので味にインパクトがある方がいい。純米酒の方が味が複雑。一方、地元では昔ながらの飽きのこないよようなお酒がいいそうだ。

 

三ツ矢の大きな特徴の一つが試飲即売会である。蔵元の方が来て、試飲即売をする。

お客は、半分ぐらいは近所の人。しかし、あと半分は地元の人ではないようだ。遠くから車で買いに来る人もいる。手に入りにくい酒を求めて、いろんな酒屋を渡り歩いてここまで来る人もいる。男女比は、やはり男性の方が多いそうだが、最近は女性が一人で来るお客も増えてきているそうだ。

 

しかし、他のマーケットと同様、酒市場も厳しい状況だろう。酒の格安店も増えた。スーパーやコンビニでも酒が買える。インターネットでもワンクリックで酒が買える。そんな中での商売はどうなのだろうか。

 

「お客さんが使い分けている。ビールは安いところで買って、その袋を下げて、日本酒はここで…とやって来てくださる。スーパーとかだと、酒の説明ができる人がいない。ここだと説明できる。それが三ツ矢の付加価値。格安店の店員の方が『酒だったら三ツ矢さんに行った方がいいよ』とお客さんにおっしゃってくれたりもする。お客さんが飲み屋さんで『三ツ矢にいい酒があるから行った方がいいよ』と飲み屋の人に言ってくれたりもする。」

 

「うちはネット販売は積極的にしない。店中心。メールの注文があったら受けるけど、店に来る人が第一。地元の酒屋。」

 

三ツ矢酒店は、戦後しばらく、米国軍人と、彼らと一緒に酒を飲んでいた日本人女性たちが来る、西荻駅南側にあったバーにもお酒を提供していたそうだ。その頃の店はもうなくなったが、西荻駅の南側には、まだ飲み屋がたくさんある。

西荻ではまだ、何件も飲み歩く「はしご酒」文化が残っているそうだ。この辺の人たちが、遅くまで店で酒を飲んでいる。

 

お孫さん知史さんは言う。

 

「おじいちゃんが商売の場所として西荻を選んでくれてよかったなと思う。西荻の町はあまり変化がない。一気に大きな商業ビルが建ったりしない。西荻は商売がしやすい。住宅があって商売が安定している。」

 

東京の地酒発信の店「三ツ矢酒店」は、どんなに有名になっても「地元の酒屋」であり続けるという姿勢なのである。(ファーラー、木村、6月26日2016

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