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萬福飯店:45年の歴史を持つ「町中華」

最近「町中華」という言葉が流行ってる。ガラスケースには日に褪せた食品サンプルが並び、おなじみの和風中華料理を提供する、昔ながらの家族経営の中華料理店といったイメージだ。西荻窪駅北口出てすぐの狭い歩道を入って200mほど歩くと、萬福というこの代表的な「町中華」を見つけることができる。日本人家族が経営している中華料理店だ。店に入ると、一瞬にして30年前の昭和東京へ飛んだかのように感じる。手書きのメニューが壁に貼られ、年代物のレジが置かれ、そして、そう広くない空間の中、円卓と5、6個の木製のテーブルが並んでいる…といった光景だ。こんな懐かしい気分になる店内で、萬福の店主は自らの歴史を語った。

 

開店してから45年になる中華料理店は、西荻窪の変容を甘受し、日本経済の発展と、日中関係の変移をミクロのレベルで見せている。

 

この中華料理店は、現在60代になる日本人夫婦がはじめたものだ。もともと同級生であった樋口茂さんはと美幸さんは雪国新潟県の出身で、中学卒業後すぐ、15歳で上京した。茂さんは小さい頃にお父様を亡くしたが、運良く、お父様の親友が当時東京で中華料理の店を経営しており、茂さんのことを呼び寄せてくれた。そして茂さんはそこで手伝いをすることとなった。その店で10年間の見習い修業後、自分の店出せ、と言われ、店を持つことを決意したそうだ。それからこれまで、茂さんは中華料理一筋でやってきた。

 

「あっちこっち店舗見に行って、ここ国鉄中央線だったからでしょう、あと他の店はみんな私鉄だったのね。あの時私鉄の景気が良かったのかな。でも今は中央線、すごく人気ですよね。あの頃、中央線、あんま人気なかったですよね。あとラーメンとかも安いね。」

ひとり立ちするために店舗を探していたときのことを、茂さんはこう語った。

そして、そのとき既に夫婦となっていた美幸さんと一緒に、西荻窪で自分の中華料理店を開店させた。

 

1970年代の西荻の一般的な住民はさほど豊かではなかったので、基本的にラーメン店となった。「うちはラーメンと中華料理ね。チンジャオロースとか酢豚とか、ああいうポピュラーな料理は昔から人気でずうっとやってた。でもあんまり料理食べる人、いなかったですよね。札幌ラーメンのブームだったから。うちは開店した時すごく貧乏でした。借金いっぱいあって。それからだんだん色々工夫してね、出前したり、ランチしたり。で、だんだんね。今まで潰れないできて……。」茂さんが語った。

 

「あの頃は、みんな、まだまだ、お腹いっぱい食べられればいいという時代だった。まだみんな貧乏だった。」

 

茂さんは、その頃の西荻窪の町の姿も語ってくれた。

「住宅街でしたよ、ここ。あと、麻雀屋さんいっぱいあった。あの頃、麻雀する人多かったのね。それでね、大学生もみんな麻雀やったの。大学受かると、勉強しないでみんな麻雀やってたの。今はもう少ないでしょう。」

「その麻雀屋に出前やったのね。そういうの、ずいぶん助かりました。」

 

美幸さんはお店を開くにあたって、本物の中華を勉強するため、80年代に香港と台湾へ何回も勉強に行った。90年代には、家族全員で中国の食文化見学旅行も行っている。

 

茂さんと美幸さんの長男は、中国語を流暢に話せるそうだ。彼の妻は上海の方。

戦後から1990年代初頭にかけて、中国と日本は比較的安定した外交関係を保っていた頃だった。ご長男は大学で中国語の授業を取りながら、頻繁に中国へ行っていたそうだ。そして、交換留学がきっかけで上海に住むことになり、結婚式も上海で挙げたそうだ。

 

現在、60代後半にさしかかっている茂さんと美幸さんは引退することを考えつつ、店を手伝う長男夫婦と共に、家族四人で経営している。開店以来ほぼ半世紀を経た萬福飯店は、本当の西荻町中華となったのである。(ファーラー、劉,木村, 9月2日2016年)