デザートライブは今日も満員御礼

カウンター越しに見える解放された厨房で、店主の原島美紀(はらしま みき)さんが落ち着いた様子でモンブランを作りにかかる。モンブラン用の真っ白い皿の隅、対角の二か所はキャラメルペーストで飾られ、中央に細長いメレンゲ四本が正方形の枠状に置かれる。枠の中にはラムアイスクリームが盛られ、その上に栗のペーストがぎゅうっとたっぷり帯状に絞り出される。そして赤いカシスのシャーベットが粒状になったものをバラバラとふりかける。仕上げには、奥のガス台で細く繊細でキラキラ光る飴のデコレレーションを作り、モンブランの上にふわっと乗せる。ここ西荻のパティスリーロータスでは、熟練した技のパティシエが客が見ている目の前でデザートを作りあげる。見る喜びが食べる喜びをより一層高める、粋な演出の店だ。

 

西荻窪の通称乙女通り(旧府道)に2017年にオープンしたパティスリーロータスは、西荻初、目の前で作られた出来立てデザートを食べられる店だ。ビルの一階の小さなスペースに、テイクアウト用ケーキのショーケースと焼き菓子やチョコレートの棚、そして奥に入るとオープンな厨房の前にイートイン用のカウンターがあった。カウンターの定員は五名。お客はデザートができあがっていく様子をライブで楽しみ、できたてを堪能できるのである。2021年には一階のイートインスペースを二階に移し、席数も増やした。

 

取材にうかがったのは2021年十二月中旬。クリスマスケーキの準備で忙しい時期だ。一階の厨房はクリスマスの準備の真っ最中。その厨房の隅でお話をうかがった。

 

原島さんがパティシエになろうと思ったのは、小学生くらいの時。この時期の子どもが、「将来なにになりたいの?」と聞かれ、よく、「大きくなったらお菓子屋さんになりたい」といった感じであったそうだ。

「あの、お菓子屋さんに憧れていたのがあって。夢みたいなものですね。」

そして、成長した原島さんは、冷静に進路を選択する。

「高校から大学に進学するときに、大学に行くというのは考えていなかったんですよね。何か手に職を持ってすぐ働けるような実践的なところに行きたいと思って、そうすると専門学校。それで考えて、選択肢の中の一つだったっていう感じなんですけど。それまで、パティシエの方か、音楽系の学校か、美容系の学校かって迷ってて。その中で考えたときにパティシエの道がいいなって選んだのがきっかけですよね。音楽は趣味でいろいろ楽器とかやってたんですけど、音楽でごはん食べていくのはちょっと難しいかなって。現実的に。やっぱりそれは趣味のままでと。あと美容系の方は、美容師さんとか、メイクさんとか、そっちの方にも興味はあったんですけど、なんかやっぱり小さい時に持っていた漠然とした夢みたいなものはどっかにあったので、そっちに進んでみようっていうのはありましたよね。で、あとは、パティシエの体験入学に参加した時に結構楽しかったんですよね。だからいいかもしれないと思って、そっちにしました。」

 

しかし、繊細で美しいスイーツを作るパティシエの仕事はかなりのハードだ。

「体力仕事ですね。たぶん入りたての頃、みんながやる仕事としては重いもの運んだりとか掃除したりとか、(お菓子に)触らしてもらえないことが多い。まずは片づけることとかそういうことが多いので。作るとかより販売を先にさせるお店とかもありますし。まあ、最初はたぶん、全然つまんないって感じる人が多いですね。そうそう、私の今の専門学校時代の友達で続けてる人は少ないです。ほぼいない。で、その中でも、男の方は何人かやってますけど、女の子はだいたい結婚してやめたりとか、体壊してやめたりとか。あとは粉アレルギーになっちゃったとか。それで、体的に無理になって辞める人が多いっていうのは聞きます。でも、わたしは、そんなに体力はないのかもしれないですけど、まあ、その中ではある方だったんじゃないですかね。」

 

最初の職場は、デパートにも売り場があり、当時は店舗も持っていた大きな洋菓子メーカーだった。

「就職活動、普通にして、で、面接受けに行ったりとかして、それで合格して入った。普通の就活と同じです。(最初は)工場勤務だったんです。個人店とかじゃなくて。なのですごく大量生産。もう量がものすごい数を作るので、流れ作業みたいなもの。そいで、ひたすらロールケーキの、この、巻くやつをやるとか、いちごをひたすら切るとか。機械って感じじゃなかったですね。人が全部やっていたっていう、だいたい。量がすごく多い、仕込みが。それはそれで経験になったので良かったかなと思いますよね。あの、なかなか工場とかに行かないと、個人店だけ経験している人たちはびっくりすると思います。そういうのでよかったですね。」

工場勤務後、次は店舗勤務に。しかし、そこは精神的になかなかハードだったようだ。

「工場勤務から六本木本店の勤務になって、その、工場でやっていた内容と全く違う、そこから急に個人店みたいになって。そんな中で一緒に働いている人は五人くらいいたんですけど、ま、工場長と呼ばれている上の人と他四人くらい。みなさん、スタッフがすごい年上の方で、私は当時二十歳とか二十一とかだったんですけど、四十代、五十代の人とかが一緒に働いてて、まあ、大変でしたね。やる内容も、仕事内容も全く変わってしまったし、工場ではいかに速くやるかだったんですけど、そこでは、なんか、技術がすごい求められて、何にもできませんでした(苦笑)。」

「(お店では)ここと一緒の感じで、ケーキの仕上げをして、ショーケースに並べるケーキを作って、そのあとは、冷凍庫にムースをストックしてるんですけど、そういうものを仕込んでいくって感じですかね。販売とは分かれてました。作る方。完全に作る方って感じで。教えてもらいながらやるんですけど、まあ、できないんですよ。でも、分かんなかったら教えてほしいって言っても、教えてくんなかったんですよ。『なんでわかんないんだよ』ってな、感じですかね。」

「ちょっと辛かったですね。わたし、もう、本で調べたりとかして、うーん、こうなのかどうなのか…って感じで…。レシピはあるんですよ。基本的な。でもまあ、それは一回教えてもらったんですけど、よくわかんなかったんですよ。だから教えてくれって言ってるんだけど、『そんなのなんでわかんないんだよ』って感じだったので、どうしようかなっ、ては思ってましたけど。自分でいろいろ調べて、どうにかしようって。」

「だから、なんだろう、私がもし上に立ったら、もうちょっと丁寧に教えようって思いましたね。逆に。今はあまりないと思うんですけど、昔はすごく厳しくて……。」

「すごく怒られたんです。毎日毎日。で、確かに嫌だったんですけど、けっこう負けず嫌いな性格だったので、だからいつか見返してやろうってっていう気持ちはずっと持ってた、っていうのが続けてこれたんですよね。たぶん。」

 

しかし、2011年の東日本大震災が原因で彼女が働いていた店は閉店。 原島さんはここで一旦、東京からも洋菓子業界からも出ることにする。 名古屋に移住し、ショッピングモール内のキャンディーショップでアシスタントマネージャーとして働いた。加えてホテルの清掃業などもし、生活した。 しかし、ほどなくして原島さんの親御さんが病気になってしまう。そのため、彼女は再び東京へ。東京では「ハローワーク」に通い、仕事を探しながらハローワークの職業訓練でコンピュータープログラミングのコースを受講。仕事の選択肢を増やそうと試み、そして、事務系の仕事の面接を受け、いくつか採用通知ももらう。

 

そんなときである。原島さんは偶然、ネットで新しいスタイルのパティスリーと出会った。 アトリエコータだ。

「で、なんか気になっていて食べに行ったんです。そしたら、その、目の前で作るスタイルっていうのを始めて見たっていうのと、ショーケースのケーキとは全く違う作りたてのデザートっていうのを食べたのが初めてだったので、感動したんです。それでコータについていろいろ調べていたらちょうど求人してる。最後に一回受けて、もしこれで受からなかったらお菓子の道は諦めて、受かったらちょっと頑張ろうと思ったら、受かったんです。」

 

「アトリエコータは三年半くらいですかね。実際入って、すごい、今までやってきたケーキ屋とは全く違う、人に見せるようなデザートを作るっていうのにすごい興味がわいたので、あの、わたしもこういうお店出したいなって思いました。」

 

自分の店を持とうと思い始めた原島さんは、アトリエコータのシェフにそのことを話してみた。

「アトリエコータのシェフがお店を出すにはこうした方がいいとか、いろいろ教えてくれたんですよ。で、なんかわかんなかったら聞いてもらっていいし、金額とかも教えるし、って。あとはその、材料とかの業者も紹介で教えるし、って、そんな風にいろいろ。わたしには何も『つて』がなかったので、教えてくれたんですよね。それもあって、あとはお金のタイミングとか、物件とか探して、目星がついてきたりとか。そのときに出せそうだなと思って。」

原島さんは自分の店を出すことに決める。最初の職場で持った「いつか見返してやろう」の気持ちも、後押しになったそうだ

 

場所はビジネス的な視点から、西荻に決めた。

「吉祥寺で探してて、最初。ここの隣の駅ですけど。ええと、私、お友達が西荻窪によく遊びに来てたんですね。ま、吉祥寺はすごく物件が高い。人は多いけど物件が高くてここでポンと出したところでうまくいくかどうかが微妙だったんです。そしたら『西荻窪もいい。お散歩してみなよ』って、一緒に。そしたらなんかよかったんですよ。雰囲気が。で、ここらへんで探してたらちょうど空きがあったんで。えーと、ここの店は四年になるので、四年前ですね。」

「私はこのお店を出すときに、なんだろう、出せる売りっていうのが、コータの時に学んでたデザート、目の前で作るカウンターデザートしかないと思ったんですよ。それを出すしか。それをもし出さなかったら、終わったかもしれないって思って。何かそういう特徴的なものがないと、たとえば、取材とか何件か来てもらったんですが、話せないんですよ。そうなると経験もないし、技術もなくてただポーンと出してもうまくいかないと思いますね。テイクアウトのケーキも自信があるわけじゃないし、そうなると、やっぱり、コータのカウンターデザートで、なんか、受け継いで出しましたっていうのが一番いいって思って。それと、西荻にはそういうの、たぶんないって思って。最近パンで作ってるお店、結構多いけど、目の前でこう、ライブ感ある感じで作るのはなかったので。なのでそれを出そうと思いました。」

 

ちなみに、開店資金は千五百万円くらいになったそうだ。冷蔵庫などはリースを利用したが、内装費がかなりかかった。もとは、床とコンクリートの壁だけで何もなく、そこに壁を作って壁紙を貼った。また、こまごましたものだが、ケーキを入れる箱やタッパーのような小物を全て一からそろえなければならないため、それもかなりかかったそうだ。

「何にもなかったんで、それを一からそろえるっていうのがすごく大変だった。どんどん買い足していったから。備品とか製菓材?製菓用品とかそういうの。一個が、業務用のってけっこう高かったりするので、それだけでもけっこう金額いきますね。」

 

テイクアウトのケーキやカウンターデザートの基礎的なレシピは、アトリエコータで作っていたものにアレンジを加えて作ったものが多いそうだ。それでも、テイクアウトとカウンターデザートを、レシピから商品まで全て一人で準備し、開店に持っていくのにはかなりの労力を要しただろう。

「今はちょっと慣れてきて、まあまあ。最初はテイクアウトのを一からと、焼き菓子を一からと、あと、イートインメニューだったり……一から考えてたので、ちょっと大変でしたね。一緒に作れる人がいなかったので。最初一人で、あとはバイト。正社員の子はいたんですけど、何も作れない、新卒の子だったので。母校は一緒だったんですけど。先生に紹介してもらって、一人は確保したんですけど。なので、オープンの時はかなりやばかったですね。あと、もう一人だけ、他のケーキ屋でやってる子が来てくれたんですけど、その子は箱詰めとかは慣れてたんで、すごい助かったんですけど。四人、そうですね。姉に手伝いに来てもらったりとか。まあ、そうですね、すごい大変でした」

 

ほぼ、孤軍奮闘と言ってもいい状態のオープンから四年、2021年、同じビルの二階にイートインスペースを増設。

「ここは五席しかなくて、ていうのと、テイクアウトとイート対応重なったりするとすごいばたばたして落ち着きがない、っていうのと、もう一軒近くに家を借りてるんですけど、そこに従業員、休憩の時に行ったり、いろんな荷物とか置いてたんです。でも、それでもあの、しまいきれなかったものが段ボールとかが、この(一階の)席の後ろとかにあったりして、なんか見栄えがよくないなってずっと思ってて。それにここも狭いし。あの、二人すれ違うのも結構厳しい感じだったので、どうしようってずっと思ってて。この近くに、イートイン専門のお店出すか、とかいろいろ考えてたんですけど、そしたら二階、空いてたんで。で、まあ、おんなじ大家さんだったんで信用があったで。」

 

現在は、正社員を含む従業員は全員で八名とのこと。仕事的にはどうなのだろうか。

「大変ですね。めっちゃ大変です(笑)。ただ、今スタッフが成長したっていうのもあって、男の子に任せられる。だから、あの、そういう従業員ができたっていうのも大きいですけど。だからできるっていう。年代も様々ですね。若い子もいるし大人の方もいたりするので。それもミックスしていた方がちょうどいいっていうのもあるので。接客の時に、例えば話し上手だったりおすすめ上手だったり、そんな大人の方がいたほうがいいと思うし、若い子は若い子で体力があったりするのでいたほうがいいっていうのもあるし。なので、みんないい子たちですね。すごく。」

スタッフの成長が、イートインスペースの増設にちょうどいいタイミングだったようだ。

 

外連味(けれんみ)があるように感じられるかもしれないカウンターデザートだが、原島さんはちゃんとした正統派のデザートとして作っている。

「いちごパフェならちゃんといちごがいいです。インスタ映えはよくても、食べて違うものはいやです。」

だそうだ。確かに、この日注文したモンブランは、栗の滋味をたっぷり楽しめる「モンブラン」。いちごパフェもフレッシュないちごを堪能できる「いちごパフェ」だった。

試作したら、もちろん食べてみて検討を重ねる。

「食べてみますね私は。スタッフも食べて。どうかなってって聞いて。これはこんな風にしたらいいんじゃないかなって、そんな風にしてやってます。最初に一人で自分で作ってみて、だいたいの見た目とか入れるものを決めて、そっから修正していくって感じですね。これを入れたほうがいいとか。」

 

一方、ライブという性格上、困ったことはないのかを聞いてみた。

「最初のうちは、失敗…はしないですけど、緊張したりは。けっこう上がり症だったので。でも、慣れてきましたね。トラブルもあったりしましたよ。なんかちょっと崩れちゃったとか。そしたらもうやり直すしかない。みんな見てるし。なんとかやらなきゃいけないんですけど、そういうのはありますね。」

そう話す原島さん。インタビューの後、イートインスペースでデザートを作る姿は、ぴりっとしたプロの緊迫感でデザートライブを盛り上げていた。

 

テイクアウトと、カウンターデザート。どんなお客が来ているのかについてうかがった。

「常連さんとかって、きっと家が近いんだろうなって。よくいらっしゃいますね。えーどうだろう。週に二回とか。たまたまだろうけど。毎回ってわけではないでしょうけど。(男女比は)半分くらい。男性の一人の方とか、いらっしゃいますね。なんか年代もばらばらで。けっこうね。家族連れも来るし。うーん。イートインだけの方もいるしね、けっこうね。食べて、また下で見て買って……。年々増えてってますね。ここ(二階)やって増えてますね。イートインの方。始めてお見かけするお客様が多いですね。なんだろう、あ、でも、食べログのネット予約を始めたりしたんです。あれけっこうおっきくて、たぶん。食べログを見て来ましたっていう人も多い。」

常連客に加え、新規のお客も増え続けている様子だ。

 

一方、安定的に利益を出し続けるにはかなりの苦労があるようだ。もちろん、利益が出る、出ないについては、世の中の経済状況も影響している。

「仕入もすごい金額が増えたので、その割に忙しいんですけど、お金がすごい出ていくから、ちょっとそこいらへん、金額設定を変えたりしないと厳しかったり…最近はそれに悩んでいますね。様子を見ながら。」

「でも、二階はやり始めてからすごく入るようになって、(今までは)平日は全然入ったりしなかったんですけど、絶対に入るし、土日はもう絶対満席状態なので、それはよかったなと。(今材料が上がっているが)そうなんです。今値段がどんどん上がってるんです。金額が。いろんなものの。(光熱費も?)そうですね。それが今ちょっと悩みどころですけど。もうちょっと経たないと分からないですけど。」

利益についてはまだ様子見だが、イートインスペースの増設はテイクアウトにもいい影響を与え、二階でデザートを楽しんだお客が一階でテイクアウトのケーキを買って帰ることも多いように感じるそうだ。

 

最後に、今後の展望をうかがってみた。

「大きくしたいなーとは思っているんですけど。ま、別の店出したいなーって思ってるんですけど、タイミングによりますけどね。店舗が離れていると管理が難しくなってきちゃうので。今、ちょうど二階繁盛しているし。」

 

一人で店を立ち上げ、デザートライブで他の洋菓子店と差別化を行い、着実に事業を拡大している原島さん。見て楽しく、食べておいしいをお客に提供する。エモーショナルで、エンターテイメント性たっぷりだ。そんな彼女の躍進の原点は、冷静に現実を見据えビジネスを営む力なのだろう。(ファーラー・ジェームス、木村史子、3月10日2022年)

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