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町の心の食堂

東京特有の食文化を外国の友人に紹介するとき、初心者であればもちろん和食店を選ぶだろう。けれども、いつしか、この町の食文化の本当の魅力を親友に紹介したいときには、西荻のビストロ フェーヴェ が私にとって最高の選択になっていた。

小さなワンフロアの空間、料理職人夫妻二人の経営、 食材自体の味を生かした調理法…。私たちはここで、赤ワインを一杯、またいっぱいと飲んで盛り上がる。フェーヴェは私の心の中で西荻を代表する「人間的な場」になった。

今年で七年目を迎えるビストロ フェーヴェを経営する川村さん御夫妻は、二人とも十代から料理職人の道に入った。奥さんはこう言った。「料理は、自分で作っていて発想や創造性で優れているなと思った。まだ若かったので、これはおもしろい!と思った。十八歳ぐらいのときだった。」

彼女は毎晩、ビストロのフロアで接客にいとまがない。シェフのご主人はカウンターの後ろで黙々と熱心に料理を作っている。ここの一番の看板料理は肉料理で、中でも私の家族の大好物は北海道鹿だ。

ちょうどイタリアンブームの80年代、ご主人の川村さんは、まずイタリア料理を学んだ。けれども、イタリア料理は華やかさには若干欠けた。デザートにもあまり華やかさがなかった。また、その頃、パティシエという職業もそれほど一般的ではなかった。その当時、仕事がはけた後、うちでデザートを作ってみては職場に持って行き、「出してみれば?」と言われたら出していた。そのうち先輩達から「 イタリアンよりもフレンチをやった方がおもしろいんじゃない?」と言わるようになった。「フレンチの方がデザートなど華やかだったし、いろんなこともできるかなーと思って、何かのきっかけでフレンチに転向。それで、日本でやっていたときに彼女と出会ったんです。」

その後はドイツを経てフランスへと料理を学びに行った。フランスでの経験は数ヶ月しかないものの、今でも印象深いそうだ。「 今までやっていた経験から、フランス人の感覚がわかるのが大事だと思った。」

川村夫妻はフェーヴェをフランス風のビストロ〜「みんなにおなかいっぱい 食べてもらえる」町の食堂のようなところ〜にしたいそうだ。日本にはまだ、フランス料理を食べる人々にそんなビストロの感覚があまりない。「日本料理で言えば、懐石と定食屋さんの違い。それが日本のフランス料理ではまだない。」

川村夫妻は、二人とも西荻出身者ではない。ご主人は茨城県で生まれ東京小石川植物園近くで育ち、奥さんは福井県出身。二人でそろそろ自分たちの店を始めようかというとき、西荻から近い三鷹に住んでいた。「いい場所がないか見に行ってみようと、仕事が終わって夜中の12時過ぎに自転車できて、たまたまここを見たら貸店舗で、ブルーシートがかけてあった。ああ、あそこがいいと思った。」「わたしはこう見えて慎重派、でも、彼はここがいい!って。」JR中央線の高架下の狭い空間。次の日、さっそく不動産屋に行ってみると、飲食店不可だと言われた。しかし、ちょうど大家さんが店舗の上に住んでいるので話してみたら、と言われ、話してみたところ大丈夫になったそうだ。「飲食店をやりたい人はみんな狙っていたそうなので、ほんとうにラッキーだった。」

ビストロフェーヴェは、16人も入ればいっぱいなってしまう店だ。「店の雰囲気もデザインも、自分で考えて内装の人と相談しながらやった。」たまにクローゼットがないなど多少の不便を感じることはあるが、シェフであるご主人は今のところ、自分で直接やるとすれば大きな店を考えていないようだ。「小さな店でお客さんの顔を見て、料理の具合を見て、空気を自分の肌で感じるのがいい。料理?料理は二人で話して決める。」

二人はマスコミで宣伝されたくないそうだ。「はじめから宣伝なしではじめた。ほんとに信用している人にしか言わなかった。はじめの一年はお客さんの固定化に苦労した。」

そして、現在、80%のお客は近所の人達。今ではすっかり、西荻の「町の食堂・ビストロ」となったのだ。(ファーラー、木村、12月15日2015年)

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