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ベサ・ミ・タコー:昭和から続くメキシコ料理店

西荻窪駅を出て新宿方面に中央線の高架右側に沿って進み、横断歩道を渡る。そしてそのまま高架沿いの細い道、平和通りを進む。そして、二本目の路地の角、高架向かいのビル二階にこっそりあるのが、メキシコ料理店のエル・キシコ「El Quixico」だ。1991年から東京でTex-Mex 料理(テックス・メックス:アメリカの西南部で発展したメキシコ料理)を提供している。 特に中央線沿線に住んでいるアメリカ人の中では良く知られる家庭的な食堂だ。夜になると、お酒を飲む雰囲気にもなる。メキシコ感溢れる店の内装は、店の初期のスタッフのセンスで作られたものだそうだ。そして、店内に飾られた、メキシコ旅行の写真、骸骨のマリオネット、ソンブレロ(メキシコの伝統的な帽子)などは、常連客達からの贈り物だそうだ。

 

オーナーシェフの吉岡さんは、80 年代に十年間、京都のメキシコレストラン でメキシコ料理を作っていた。 京都時代に彼が働いていた店の社長は、メキシコに造詣が深い方だったそうだ。

「京都の会社の社長は、学生時代にメキシコに旅行行ったんですよ。南米にも行った。そのときにメキシコにハマちゃったんです。その頃、メキシコの音楽も好きだった。その頃、『ロス・パンチョス 』というメキシコの音楽グループが日本で有名だったんです。彼はやっぱりロス・パンチョスがすごく好きで、何回も聴きに行って、それでメキシコも長く行って。彼は日本に帰って、メキシカンレストランを始めたんです。」

 

京都時代の社長は70 年代、神戸のレストランでメキシコ料理を学び、京都で自分のレストランを開店させた。その後、アメリカからトルティーヤを作る機械を輸入し、トルティーヤの販売も始めた。 90 年代初頭に東京支店を開店するため、立ち上げ部隊として吉岡さんは京都店から東京店へ転勤となった。ところが、1991年、京都の会社が東京のレストラン事業から撤退。しかし、吉岡さんは自営でメキシコ料理店の経営を続けた。現在までの三十年以上、その頃とほぼ変わらないメニューで経営を続けている。

 

エル・キシコの人気メニューは、 一般的に人気があるシンプルなTex-Mex料理だ。 ファヒータ、グアカモレ、ナチョス、ブリトー、タコス、など代表的なTex-Mex料理だ。だが、できるだけ新しいものにもチャレンジするようにしているという。人気の飲み者はフローズン・マルガリータやメキシコのビールだそうだ。

 

トルティーヤ(無酵母パンケーキ)はメキシコ料理の代表的な主食だ。トルティーヤは二種類ある。コーン(ともろこし)とフラーワー(麦)。メキシコではコーンの方が圧倒的に人気ある。フラーワートルティーヤは、主に米国とメキシコの北部で食べられる。今、吉岡さんが使っているトルティーヤは業者から買っているものだ。毎日かなり多く出る。コーンとフラーワーの割合は半々だそうだ。

「メキシコに興味がある方は、やっぱりコーンの方が多いです。あまり慣れてない方は、多分フラーワー。」

 

彼らの世代の多くの日本人がそうであるように、吉岡さんがメキシコ文化と最初に接触したのは、トリオ・ロス・パンチョスの音楽であった。 1960年代から70年代にかけて、メキシコ人アルフレド・ギル(Alfredo Gill)率いるロス・パンチョスが十回以上来日し、メキシコの歌謡曲を日本に普及した (ベサメ・ムーチョ、等)。さらにメキシコ音楽の楽器で日本の民謡も演奏した。

「ぼくが小さい頃は、メキシコっていうとパンチョスっていうのがいて、日本に来て。昭和三十年くらいかな?すごく日本人にも馴染みがあって、子どもながらすごく聞いてたし。だからしみ込んでたんだよね。だからそこから親近感はあったんだよね。」

 

吉岡さんは東京のレストラン開店後、一週間、メキシコを旅した。 その三十年前の退色した旅の写真は、今もレストランの壁を飾る。

 

なぜ西荻窪にお店を構えたようと思ったのを尋ねると、意外とシンプルなこたえが返ってきた。 

「西荻って個人営業のお店が多いっていうのが。まず小さなテナントがたくさんあるっていうのと、比較的安い。吉祥寺とかに比べたら。だから開業しやすい。そういう理由だったんです。」

 

四半世紀にわたって、彼はこの地域への愛着を深めていった。

「まあ、やっぱ縁はあったと思うんですよね。もともと実家は渋谷の方なんですけど、何度か、四十年以上前から来た事はあったんですよ。そのころからなんか縁はあったのかな、と思うんだけど。とくにこだわりはなかったんですけど、やっぱり特徴的な町ですよね、西荻窪って。ハマる人はハマる。結構『西荻』っていうでしょ?やっぱり。強烈ではないけど特徴的ですよね。」

 

他の店の店主と親しくはあるが、それほど親密な付き合いはないそうだ。

「まあ、西荻窪って、まあ、みんながみんな一緒ってのはあんま、ないですよ。まあもちろん聞きますけど。例えば、商店街でも西荻っていっぱいあるんですよ。高円寺なんかは阿波踊りとか、阿佐ヶ谷だったらフェスティバルとかあるんですけど、西荻ってそういうのないんですよ。だからそれが西荻の特徴じゃないかな?あまりまとまりたがらない人が多いい。 」

 

現在、リピーターは多いが、新規客は以前より少ないそうだ。以前は二人でお店をまわしていたが、最近は吉岡さんが一人で働いている。週末のみ、学生アルバイトが入る。

今、若い人たちは外国の料理にあまり興味がない、と 吉岡さんは言う。

「最近はどちかに言えば、日本人は内向きになっています。日本人は、やっぱり日本的なものに興味を持つようになった…。昔のレストランは、いろんな知らないものを見に行ったりするところでもあったけど、今の若い人はやはり保守的になっていますね。」

 

若い人向けの安い居酒屋ではないが、エル・キシコは近隣の人々によく知られているレストランだ。 西荻窪駅周辺に「ビストロ激戦区」が登場するずっと前から、エル・キシコは、中央線沿いに住む人々によく知られたレストランの一つだった。そう、エル・キシコは 西荻レストランブームの先駆者でもあったのだ。(ファーラー、松村、木村、6月17日2017年)

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