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酒と料理と子どもを育てる居酒屋

小さな家族経営の店にとって大きな悩みの一つは子育てであろう。休む暇を惜しんで働いていても、やはり頭の隅には子どもがいる。今どうしているだろうか?ちゃんと食事はとっているだろうか…。仕事は仕事のためではない。家族のためでもある。しかし、そのバランスをとることはとても難しいというのが現状だろう。どの店も悩みつつ、しかし、家族と協力し合って店を営んでいる。そんな小さな店の一つが西荻に店を出し四月で二十二年目になる「たい助」である。家族経営で気楽に子ども連れで入ることができ、それでいてとても上品な和食店だ。

 

たい助は、料理人の板垣力(いたがき ちから)さんと女将の板垣恭子(いたがき きょうこ)さん、そして長女のももこちゃん十歳、長男のたつみくん五歳の店である。

 

インタビューの日は朝市の日だった。朝市には恭子さんとももこちゃんが店を出していた。朝市が終わった後、片付けを済ませ、インタビューに応じてくれた恭子さん。

「さっきのお友達が一緒に、あの子とすごく仲良くて。彼女と手伝ってくれるので、そうするとね、遊び半分、な感じで。二人で。お友達はおじいちゃんおばあちゃんがずっとここでお好み焼き屋さんをやっていたとこのお孫さんなので。今はやってないんですけど。上手ですよね(笑)。なので、さっきも卵焼きと鯛焼きは籠に盛って売りに歩いてくれて、『売ってきたって!』って言って、完売。」

あんなかわいい感じで売りに来られたら、我々でも買ってしまう。

「そうそうそう。それも手なんですけどね(笑)。あの子はほんとにずーっとこういう中できて、大きくあそこまでなったので、ちょっとこっちがバタバタしてるなーと思うと、さーっと動いてくれる。ま、それがいいのか悪いのか、悩むところなんですけど…。」

ももこちゃんが両親の働く様子を見て育ってきていることがよくわかるエピソードだ。

 

まずはたい助の歴史をうかがった。

「二十二年に。来月になります。1996年ですね。」

店舗は居抜きで現在のように改装した。

「縁あって西荻にわたしたちは来て。えっとー、それこそ彼が前働いていた職場に、西荻でお店をやっていたっていう方が板前さんでいたらしいんです。そこで、西荻のことよーくご存じだったので、お店を探してるんだっていう話をしたのかな。で、こんなところがあるよーという話から、西荻に始めて来て、っていうのが縁です。」

 

「わたし自身は、実は、ほんとに生まれてからサラリーマンの家庭で育ったので、お店をはじめる二日前までは会社勤めをしていたんですよ。東京で仕事してて。結婚して次の年にお店をはじめたんですけど。なのではっきり言って、わかんないですよね。わたしは。もう右も左もわからない状態で始まった。アルバイト経験がある程度で始まった。」

夫で料理人の力さんは、和食一本で修業をしてこられた方。新潟で生まれ、群馬で育った。恭子さんは静岡の沼津出身。二人は東京で出会って結婚した。

「たい助」という店名は、力さんが以前働いていた職場でのニックネームが「板垣の退助」(板垣退助)から来ているそうだ。高知県とは縁はないが、板垣といえば退助だろう…ということらしい。そして、退助が屋号の「たい助」に。

 

開店当初、二人はたい助を正統派和食店としてスタートさせた。仕入れは力さんが修業時代から付き合いのある築地市場の仲卸さんを通じて。この世界は長く付き合えば付き合うほどいいものが流してもらえる。

いい食材で質のいい和食を提供しているたい助だが、気軽に入れるといったイメージからお客の認識はなんとなく居酒屋へ。

「こちらも…居酒屋っていう方が気軽に入れるイメージがありますよね。でも、主人は料理を表に出したい…っていうのが。ですよね。なので、そうですよね、今となっては居酒屋さんという感じではあるんですけど、当時は居酒屋さんとは言われたくない、と。」

 

居酒屋的な気安さはあるが、料理は正統派。人気のメニューをうかがった。

「冬はもうお鍋で、やっぱり。お一人でみえても鍋食べられるって喜んでいただいてるかなって。あんまりそういうこと考えてはじめたんじゃないんですけど、お客さんから聞いて、ああ、そうかーって。一人前で楽しめるのっていいねーって。」

一人客は多いのだろうか。

「そうですね。むかしの方が多かったかもしれないですね。お客さんが、むかしは、ここに来たら誰かいるっていう感じが。カウンターでの横のつながりがすごくあった感じがしましたよね。そこにわたしたちが入っていくって感じで。今はね、そんな感じじゃなくって、カップルでみえたりとか、ご家族でみえたり。そうですね、わたしたちが子どもができてからお店十年やって。まぁほんとに…ほんとはよくないんでしょうけど…店に子どもがいるんで、逆にご家族連れは来やすくなる。まぁ、お子さん嫌いなお客さんとかいるとは思うんですけど、まあちょっと、うーん、すみません、うちは子どもいますって…。」

 

子どもができたことによって、店の雰囲気も、そして、仕事へ取り組む気持ちも変わったと恭子さんは話す。

「そうですねー。なんか正直言って、子どもができる前って全身全霊をもって店に突っ込んでいってたので。やっぱり子どもができると、ま、やっぱり女の人は、比重が、やっぱり子どもにもいってしまうし、店もやらなければいけないっていう葛藤がすごくあって。ももがちっちゃい頃はおばあちゃんたちの手を借りて、めんどうを家でみてもらってやったので、そうすると自分の中では頭の中は店にいけたんですけど。今、やっぱりおばあちゃんたちも年とってきたので、なかなかまぁ、めんどうをみてもらえる機会は減ってきたので。そうすると、どうしても『子ども、なにしてるかなー』とか。子どものこと、もう忙しくなっちゃうと、子どものことそっちのけで店をやっちゃってるので、そうすると、ちょっと頭の中に子どものことが引っ掛かりながら仕事をする…。うん。ていう時間があったりするので…。そこがね、ちょっと難しい。」

子どもたちが生まれてからずっと、そして今も現在進行形でかなりの葛藤があるのだろう。恭子さんの言葉の端々から、それが感じられた。

夕方、店が開いてすぐの頃に行くと、お座敷のテーブルでももこちゃんとたつみくんが力さんの作った晩ごはんを食べ、宿題をする姿を目にすることができる。

「うん。そうですね。今は逆にお客さんに『子どもに働いている姿を見せられるから、いい子に育つよー』みたいな風に言ってもらえるんですけど。実際、上の子には助かっているので。でも、それが、逆に自分たちが甘えちゃうところがあって…、一番、あの子が無理してるかなぁと、そこは悩みますよね。我慢してるかなぁとか。そうですね。ま、まっすぐやってくれてるとは思うんですけど、どう思ってるかなーとか。下の子は店にいるときといないときとがあって、今はちょっと家にいる方が好きなんですけど。あの子はあの子なりに自分で楽しんでるんですよね。うーん。だから、うーん。寂しいって思ってないっていうか?そうですね、自分なりに考えて、やるようになる子になるのかなーと。」

 

両親共働きとはいえ、父親の力さんが作った食事で育っている子ども達。サラリーマンの共働き家庭では、正直なかなかできないことだ。

「上の子はもう完全にこの店の舌になってますね。もうお弁当なんかも、やっぱりお父さんは娘が好きじゃないですか、娘のお弁当とかは純和食の二段弁当。茶わん蒸し、こんなちっちゃいの作ったりして、もうやばいです(笑)。先生たち驚いちゃうっていうか。もう上の子はここの味が大好きで、それがもうそのまんま。朝は簡単にわたしは手抜きのごはんで、給食で、夜はここ。いえ、給食もおいしく完食です(笑)。」

これはもう、味の英才教育と言ってもいいくらいだろう。

 

たい助は純和食の居酒屋料理だけではなく、オリジナル料理も出している。

「新潟ピザは、はい、オリジナルです。完全オリジナルです。以前、若い人が、ちょっと量も欲しいかなぁって。ちょっとこう、洋も入ったのも欲しいかなぁって思って。それこそピザでも、いわゆるピザだとおもしろくないじゃないですか。お店的には。この写真がそうなんですけど。ごはんなんです。ごはんを鉄鍋に、ちょっと片栗で生地をなじませて、それを生地にして、何で新潟っていうかというと、一つはご飯で、あと、塩引き鮭って主人の田舎の新潟村上のの名産品が鮭なんですけどね、その鮭を使ってるんですよ。おにぎりのしゃけもそうなんですけどね。一味違う鮭なんですけど。ピザはお味噌を塗って鮭をのせて青のりをふりかけてチーズトッピングして焼くっていう。焼きおにぎりの洋風。」

オリジナルも、こだわりのオリジナルである。開店当初から今でも人気のメニューはもつ煮と里芋のから揚げだ。里芋は煮っころがしに片栗まぶして揚げてある。二十二年間人気のメニューだそうだ。

 

ところで、居酒屋と言えばお酒。たい助には力さんが生まれた新潟の日本酒が置かれている。そして、「たい助オリジナルの日本酒」も造っているのだ。

「お店をはじめて二年ぐらい。なんかちょっとおもしろいことやろうかーって。それはそのとき作った…(酒造りのときのアルバム)。それこそ、仲のいいお客さんとの会話で『お酒造る~?!』って。やろうやろうって。ほんとにそういう発想からっていうか。造るんだったらやっぱり新潟だよね、っていう話で、新潟の酒造組合みたいなところに連絡して『造ってもらいたいんですけど』って話して。」

2000年、手を上げてくれたのが新潟の市内にある塩川酒蔵だった。

「造ってもらった。でも、最初の年とかは受け入れられないお酒で。お互いはじめてだったので。一~二年くらいは受け入れられなかった。お客さんは、ちゃんと出来上がってきて、飲んでみて、『うーん、ちょっと合わないかな』って。」

その後、酒蔵とコミュニケーションをとりながら改良していったそうだ。

「で、ちっちゃいタンクっていろいろ手をかけなきゃいけないんですって。だからその大変さみたいなのがあって、だから三年目くらいから造る方(杜氏さん)も慣れて、そのころからようやく『日本酒たい助』が受け入れられるようになって。」

こうやってできたたい助のオリジナルの日本酒は三種類ある。「淡雪」、「春しぼり」、「たい助」だ。

現在、たい助のお客は、日本酒を飲みにやって来る。開店当初からずっとそうだったのかをうかがった。

「いっとき芋焼酎のブームってありましたよね。だんぜん焼酎だったとき。何年前ですかね…。はい。圧倒的に日本酒よりも焼酎。しかも芋。ね。で、日本酒はしばらく低迷しましたよね。で、また今、日本酒ブームになって。酒蔵でいろいろ、マーケティングみたいなのして。あれでまた今は、日本酒はブームですよね。」

 

和食と日本酒のたい助は、朝市にも参加している。今日の朝市でも、恭子さん、ももこちゃん、ももこちゃんの友達が楽しそうに働いていた。本格的に参加し始めたのは去年(2017年)の六月からだ。

「朝市、こんなに楽しいとは思わなかった。このお店で売ってないものを売るんですよ。それをする楽しさも。あとは、会話の楽しさ。お客さんとの。あとは横に並んでいるお店さんとの会話とか…。今はお菓子みたいなものを作って売ってるんで。こういうことでいいんだなーって。こういうもので参加できるんだなーって楽になって。主人もきっちりしたものをと思ってたんですが、夏は鮎焼いて売ってたんですけど、それでもお客さんすごく喜んでくれて。」

 

お店と朝市とで多くのお客と接点を持っていたい助。今、たい助にはどんなお客が来ているのだろうか。

「今かむかしかって言われたら、むかしの方が圧倒的に常連さんが多いです。今はもう、それこそ時代なんだなーって思うんですけど、一回も来なくても、お店の情報っていっぱい手に入る時代じゃないですか。いろんな宣伝の仕方もあるし、いろんな情報の取り入れ方もあるので、そういうので知ってくるお客さんも。今までは口コミ。常連さんがお客さんを連れてくるっていう流れでお客さんが来るっていうのが、今でいうSNSであったり、そんな空間で情報を得てくるお客さんが多いので。」

 

お客がたい助を知るきっかけも変わってきたが、西荻自体の雰囲気も二十二年の間に変わってきている。そのことについてうかがった。

「そうですね。いいことなんじゃないんですかね。西荻の町が変わって、注目されてるっていうか。メディアでも取り上げられてるし、西荻を盛り上げようって方が。嬉しいことだな、ありがたいことだなーって思いますね。お店が増えたってことは競争もあるので、それはそれで大変ではありますけど。そうですね。まあでもそれは、自分たち次第、じゃないですか。ね。自分たちがなんとかすればお客さんも来てくれるので。そこはもう自分たちがやんなきゃいけないとこなので。うん。」

 

店のこと、子どものこと。小さな家族経営の飲食店どこもが抱えている問題であろう。そんな中、日々、様々な思いを持ちながらもオリジナリティを、新しいことを、と前に進んでいるたい助。店だけではなく、ここを営む人々も成長、前進している和食居酒屋である。(ファーラー・ジェームス、木村史子、4月8日2018年)

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